朝日新聞の8月12日、政治学者豊永郁子氏の寄稿文が一面全部に載っていた。
タイトルは「ウクライナ 戦争と人権」
見出しは、
犠牲を問わぬ地上戦
国際秩序のため容認
正義はそこにあるか
この原稿の最後は、次のような文章でしめくくられていた。
☆ ☆ ☆
「最近よく考えるのは、プラハとパリの運命だ。
中世以来つづく2都市は、科学、芸術、学問に秀でた美しい都であり、誰もが恋に落ちる。ともに第二次世界大戦の際、ナチスドイツの支配を受けた。
プラハは、プラハ空爆の脅しにより、大統領がドイツへの併合に合意することによって、パリは、間近に迫るドイツ軍を前に、無防備都市宣言を行うことによって。
(大戦末期に、ドイツの司令官が、ヒトラーのパリ破壊命令に従わなかったエピソードも有名だ。)
両都市は、屈辱と引き換えに、大規模な破壊を免れた。
これらの都市に滞在すると、過去の様々な時代の息づかいを感じ、破壊を免れた意義を実感する。同時に大勢の命と暮らしが守られた事実にも思いが至る。
2都市に訪れた暗い時代にもやがて終わりが来た。だがその終わりもそれぞれの国が自力でもたらし得たものではない。とりわけチェコのような小国は、大国に翻弄され続け、冷戦の終結によってようやく自由を得る。
プラハで滞在した下宿の女主人は、お茶の時間に、
「共産主義時代、このテーブルで友だちと、タイプライターを打って地下出版していたのよ」
と、いたずらっぽく語った。モスクワ批判と教会史の本だったそうだ。
私は彼女が、いつ果てるともわからない夜に、小さな希望の明かりを灯し続けていたことに深い感動を覚えた。