日本と中国

 お神輿を担いだ中国人研修生

国に帰るホン・シャ ――お祭りで、おみこしを担ぎましたよ。 私は3年間の研修を終え、いよいよ11月末に帰国します。―― 奈良県御所市の縫製工場で働いていた中国人研修生、ホン・シャから、手紙が届いた。 御所市の公民館でボランティア活動をしていた「国…

「紅棗(なつめ)がみのる村から」

新しい歴史をつむぐ人 松本市中央公民館で開かれていた「紅棗(なつめ)がみのる村から」写真展を観てきた。 「紅棗(なつめ)がみのる村から」というブログをインターネットで見つけたのは、いつだったか。 ときどき開いては読んでいた。 何ともいえない素…

 「関口知宏の中国鉄道大紀行」

昼寝を中止して番組を見てしまった 17日、「敬老の日」の午後、NHKで「関口知宏の中国鉄道大紀行」をやっていた。 昼寝をするよりこれを見るほうがおもしろい、とその日は昼寝なし。 今年4月から約2ヵ月は、チベットのラサから西安まで、1万7千キロ…

研修生からの手紙

企業の中で K・K君から手紙が来た。 日本語研修の閉講式で、彼は代表であいさつした。 校舎の窓から日本の田植えを見て、 農夫が一人、 田植え機を使ってあっという間に終わらせてしまったのに驚き、 自分のふるさとはまだ手植えのままだと、そのなかで語…

 万葉の歌人

大伴旅人の歌 大伴旅人という、思いがけない名前に遭遇して、いささか驚いた。 中国の大学で、YUKIちゃんは日本語を教えている。 4年前は学生だった彼女が、今は日本語の先生であるにしても、 日本人でもなじみの少ない大伴旅人を、中国人である彼女が好き…

 研修生出発

手塩にかける その日、ぼくは、 「みなさんのお父さんお母さんは、 みなさんを手塩にかけて育ててきました。 たったの一ヵ月でしたが、私たちもまた、 あなたがたを手塩にかけて教え育ててきました。」 と挨拶の冒頭で言った。 「手塩にかける」という言葉は…

 図書館のリサイクル市

土曜日の午後 たいへん天気がいいです。 授業で、 「暑くもなく、寒くもなく、一年でいちばんいい気候です」というと、 みんな分かったようで、うなずきました。 可能動詞を教えました。 「『泳げます』は『泳ぐことができます』です。みなさん、泳げますか…

 変化

文明の建てるバベルの塔 表情の物語るその思いが、こちらの胸にもそくそくと伝わってくる。 5月6日のNHKスペシャルは、「激流中国『老人ホーム家族の記録』」を報道した。 中国・青島の老人ホームを取材して、入居する人たちの家族の思いを伝えるドキュメ…

 家族への手紙

日本語研修を終えて 明日、また新しい人たちが日本企業へ出発していく。 桜の咲き始めに日本に来て、満開から桜吹雪まで嘆賞してきた人たち。 日本語研修期間に桜花の季節が重なったことから、 みんなで何度も森山直太朗の歌「さくら」を歌ってきた。 閉講式…

 一箇月の研修を終えて

出発前夜 企業へ出発していく前夜、 中国からやってきた技能研修生たちと、日本語教師たちは夕食をともにして、 別れを惜しみ、門出を祝う。 入国してから始まった、たった一ヶ月間の日本語学習ではあるけれど、 深まった師弟愛は、一年間の学校生活に匹敵す…

 技能研修生たち

志を果たして いつの日にか帰らん ――研修所から彼らは出発して行った―― <式の最後にみなさんは「ふるさと」を歌います。 その3番は、「志を果たして いつの日にか帰らん」でしたね。 心に決意したこと、それをやり遂げてふるさとにいつの日か帰ろう、 山は…

  武漢

若者たち コメントをくれたのは、やっぱり雪ちゃんでした。 以前にくれたチャンさんも、ともに武漢大学の教え子、 あのときの、ひたむきな若い魂との交流は、天からの贈り物のように思え、 刻まれた感動は、 時を経ても、美しい調べを奏でます。 ブログの、…

 「ふるさと」

中国で歌う唱歌「ふるさと」 中国の青年たちが、日本の唱歌「ふるさと」を歌うことに最初違和感があった。 彼らに抵抗感はないだろうか。 北京にある中国労働部の研修所でのことだった。 日本での三ヵ年の技術研修にむけて、 派遣前の日本語研修二ヶ月を受講…

 きびのマントウ

きびのマントウ 信州には、「満州」へ渡った人が多い。 有賀さんもその一人だった。 昭和19年6月、有賀さんは国民学校高等科を卒業して、 中国へ渡り、満蒙開拓青少年義勇軍に入った。 「満州」へ行けば広い土地が手に入る、夢の大地だという勧誘にのせら…

 日本で働く中国人の女の子

ホンシャから来た手紙 ホンシャが日本に来て一年がたつ。 奈良県の小さな縫製会社で働く中国の女の子。 週に六日間、朝八時から夜遅くまで残業する。 規定月給は六万円、残業して十万に達する。 三年間働いて資金を蓄え、故郷に帰る。 資金は、弟の学費など…

 近藤芳美の歌

近藤芳美の歌 歌人、近藤芳美さんが六月二十一日に亡くなった。 近藤芳美は、日中戦争に召集されて中国戦線で兵として戦ったことがあり、 その体験から戦後、戦争を重要なテーマにして詠った。 その軌跡は、宮柊二に似ている。 戦争体験では、はるかに宮柊二…

 デートと逢引き

デートと逢引き じゃあ、会話練習ですよ。 今日は「〜ように」の練習です。 「明日、夕方五時に、駅前の喫茶店でデートしましょう。 時間に遅れないようにね。」 「はい、遅れないようにします。」 先生、「デート」というのは何? ホンさんが質問した。 「…

 宮柊二の従軍記録

歌人、宮柊二の従軍記録 日本文学を中国で紹介しておられる河南師範大学の劉徳潤先生から、 宮柊二の所属部隊とその部隊の戦闘相手についての問い合わせが二年前にあり、 新潟の宮柊二記念館に問い合わせたことがあった。 記念館の館長さんは、従軍の記録も…

 武漢大学の桜 その後

武漢大学の桜は中国の恥か ロンドンの新聞社・タイムズの東京支社から電話がかかってきた。 今、武漢大学の桜論争が起こっていることを知っていますか。 武漢大学の構内にある桜をめぐって、中国国内で論争が起こっているのです。 初耳だった。 あなたの書い…

 別れの詞

別れを惜しむ心 洪さんは小さなメモ用紙の一枚に、「蘇軾 蘇東坡」と書いた。 この人、知っていますか。 知っていますよ、でも詳しくは知らない。 公民館で行なってきた国際フレンドの会、日本語の学習、 ぼくら夫婦はこのボランティア活動に参加してきて、 …

  旧友は温かかった

旧友は温かかった 大阪の友人が、ぼくに語る場をつくってくれて、 タイトルは何にすると聞かれたとき、 考えが決まらないまま「中国の民衆の中で発見したこと」と答えた。 語る場は、蘇州大学と交流する大阪教職員の会10周年記念の集い、 一時間半の講演時…

   閉鎖的な日本

閉鎖的な日本 2月28日の朝日新聞に、中国出身で日本国籍をとった人の投書が載っていた。 大阪市に住む36歳のその女性の意見は、日本人の気づかない側面を指摘している。 「閉鎖的な日本 悪戦苦闘した」と題された投書は下記の通り。 中国出身で来日11年、…

  家族のために

家族のために ホンさんの理解の速さと、記憶のよさには、舌を巻く。 中学、高校のときは、成績がよかったんでしょうと訊くと、 そんなことはなかったです、と笑った。 どうして大学へ行かなかったの? 私の家は貧しかったから、おとうと、いもうとが、学校へ…

   単騎、千里を走る

単騎、千里を走る 中国の名匠チャン・イーモウ監督、高倉健主演の「単騎、千里を走る」を観てきました。 雲南・麗江の街と玉龍雪山がなつかしかったです。 今朝の明け方、ランがトイレに行きたいと合図したから、 居間の戸を開けてやったらオシッコとウンチ…