家族のために


        家族のために


ホンさんの理解の速さと、記憶のよさには、舌を巻く。
中学、高校のときは、成績がよかったんでしょうと訊くと、
そんなことはなかったです、と笑った。
どうして大学へ行かなかったの?
私の家は貧しかったから、おとうと、いもうとが、学校へ行けるように、私は働きにきました。


ホンさんは昨年日本にやってきて今日まで13ヶ月、
奈良の小さな工場で縫製の仕事をしている。
三年間が過ぎれば中国へ帰る。
正式に日本語を学んだのは中国での渡航前研修3ヶ月。
今は日曜日の夜に、この町のボランティア団体の日本語教室に来て学んでいる。
ぼくはこの人を担当して、その呑み込みの速さと語学力の進歩に感心し、
ぜひ日本語能力検定2級か1級をめざしてごらん、と勧めたら、
その気になって、学習が真剣になってきた。


昨年、ぼくが北京で教えた研修生たちの何人もが、
弟、妹の学資を私がかせぎます、と言った。
三年間の出稼ぎが終わり、中国に帰ってきた研修生のエンさんは、
日本語能力検定2級を日本で取得し、優秀さを認められて中国労働部の指導員になった。
彼女はこう言った。
日本へ行ったのは家族のためです、女だからしかたがありません。
どうして女だから仕方がないの、と訊くと、
地方では女性はまだまだ、自分のことよりも家族のために働きます、
と言った。
彼女は21歳だった。


出稼ぎに行く人の中に、幼い子どもを残していく人たちもいる。
お母さんは、わが子をおばあさんに託し、
若いお父さんも幼い子の写真を胸に収めて、
わが子の教育費を稼ぐために日本へ行くと言った。
結婚二年目にして、夫と離れて働きにいくションさんは、
三年後中国に帰ったら子どもを産む、それまで資金を稼ぎますと言った。
ファンさんは、祖父母を楽にさせたいと言い、
タンさんは、父母を楽にさせたいと言った。
自分の工場や店を持ちたいという夢を語った男性がたくさんいた。
そうして彼らは海を越えていった。


この奈良の田舎町にも、多くの中国人が働いている。
日本企業は彼らの安い労働力を必要とし、
工場の底辺を支えてもらっているが、
彼らの国での生活をどれだけ知っているだろう。
アジアから、南米から、家族の幸せと自分の夢の、赤い風船をふくらませて、
やってきた若者が今日も日本の工場で働いている。