「関口知宏の中国鉄道大紀行」


      昼寝を中止して番組を見てしまった


17日、「敬老の日」の午後、NHKで「関口知宏の中国鉄道大紀行」をやっていた。
昼寝をするよりこれを見るほうがおもしろい、とその日は昼寝なし。
今年4月から約2ヵ月は、チベットのラサから西安まで、1万7千キロの列車の旅。
秋の旅は約二ヵ月半、西安からシルクロードの町カシュガルまで、1万9千キロの列車の旅。
同じルートは通らない。一筆書きの要領で、くまなく中国の鉄道路線を通り、途中各地で下車してその地に飛び込む。


秋の旅に出るために列車に乗り込んだとき、
「とうとうまた戻ってきたよ。」
と笑いながらつぶやいた。
実感なんだなあ。「帰ってきた」という感じが。
何人ものそういう実感をつぶやく人を知っている。
日本から中国に来るたびに、「帰ってきた」と思うのだという。
日本よりも中国のほうが水が合う。
その逆、もう中国へは来ないよ、という人もいる。
それを簡単に「親中」「嫌中」とレッテル張りしてはならない。


おもしろいねえ、この関口知宏という人は。
この人、俳優なんかねえ。
自分という人間を地でいく俳優なんだろうね。
まったく飾らない、気取らない、ぶらない。
素朴で、飄々としていて、感情をすなおに顔や態度に表す。
だからかなあ、中国の庶民とも、子どもとも、ぴったし息が合うんだなあ。
途中駅で下車し、とぼとぼ田舎の桑畑の中を歩いて養蚕農家の手伝いをしたり、食事をご馳走になったり、
列車の中で、乗客から白酒をすすめられ、一口飲んでその強さに顔をしかめ、乗客の爆笑を誘ったり。
そこで出会う人とすぐに友だちになってしまうという気さくさ。
子どもとなら、すぐに遊びだす。
中国の庶民も、まったく飾らない。
「家へ来い。」「ご飯食べていけ。」
そのご飯も、日常食べている食事そのまま。
普段着の生活の場に、関口を受け入れる。
通訳と撮影カメラマンが同行しているにしても、それらはほとんど黒子。
関口は一人旅をやっている。
よくあるルポと違って、関口は視聴者を意識していない。
だから、メッセージ性がない。
それがかえって多くのメッセージを伝える。
あるがままの旅で出会う人と自然、風土。
そこへひとりの日本の旅人が来た。
それだけのこと、そこがいい。


13億人は、13億の異なる顔を持って生活し、その人の性格・考え方を持っている。
それを情報は、「中国人はこうだ」と十把一絡げにしてしまう。
組織で動く国家としての組織体と、個々の庶民を一緒にしてしまう。


だが、民はひとりひとり異なってはいても、共同体験をもっている。
共同体権は、共通した認識を生み出す。


放送のタイミングにあわせて、18日の朝日新聞に、関口知宏の記事が載っていた。「中国と私」。


「意外だったのは、地元の人たちからの熱烈な歓迎だった。
(旅の開始時点では、)
『卵を投げつけられたらどうしよう、なんて本気で心配していた』
『どうぞ、どうぞ、入っていきなよ』と、自宅を案内するおばちゃん。
『よく来たねえ。でも昔みたいに銃剣もって悪さをしたら堪忍しないよ』。
ウインクしながら冗談を言うおばあちゃん。
反日感情』について抱いていた先入観は、行く先々でどんどん崩れた。」
「たいていの街で夜が暗いことに驚いた。省エネのために電気を消しているという。
上海や杭州のような大都市でさえ同じだ。」


関口の旅は、発見の連続。
驚いて口をぽかんと開け、
まいったと、しかめっつらをし、
相手と一緒に大笑いをし、
食べては「おいしい」と叫ぶ。
それが感動を呼ぶ。