「ふるさと」


        中国で歌う唱歌「ふるさと」


中国の青年たちが、日本の唱歌「ふるさと」を歌うことに最初違和感があった。
彼らに抵抗感はないだろうか。
北京にある中国労働部の研修所でのことだった。


日本での三ヵ年の技術研修にむけて、
派遣前の日本語研修二ヶ月を受講するためにやってきた農村青年たちは、
「あいうえお」から学ぶ。
彼らは地方の小さな企業で働きながら家の経済を支え、
父母の農業を手伝ってきた。
農村の収入はわずかで、発展する東部都市との格差は大きい。
「父は竹やぶから竹を切ってきて、売りに行っています」
と言う子もいた。
家の経済と自分自身の将来設計のために、
彼らは日本へ行くことを決意し、
高額の参加費用を工面してきたのだった。
三年間日本の企業で働いてお金を貯め、
故郷へ帰って家族を助けたい、
店をつくりたい、事業を起こしたい。


クラスに何人か、お母さんがいた。
幼い子を祖母に託し、日本へ渡ろうとする彼女たちの決断の元には、
子どもの将来の学費を稼ぐというのがあった。
後ろ髪を引かれる思いを断ち切って、
三年間の忍耐によって将来を画くといういさぎよさが、
彼女たちの生き方に色濃く現れていたけれども、
夕刻などに、我が家に電話をかけているときには心優しい母の姿があった。


二ヶ月間の研修の最終日には閉講式がある。
そこでは全員で日本の歌を歌うことが習慣になっていた。
何を歌うかは日本から派遣された日本語教師たちが相談して決める。
その研修所では、「ふるさと」がよく歌われていた。
ぼくのクラスが「ふるさと」の練習にはいったのは、
閉講式の二週間ほど前だった。
歌詞が黒板の上に貼ってあった。
それまでの一ヵ月半の日本語の学習で、
よくできる研修生は、かなり日常会話を話せるようになっていた。
その時はペアになっている中国人女性の指導員が一緒に教室に入った。
「この歌の意味は、解りますか。」
クラスでいちばんよくできたのが、一人の母親だった。
彼女は二十五歳だった。
彼女は、「故郷(ふるさと)」の歌詞を中国語で訳した。
中国人の指導員は、ほぼ訳が合っていると評価した。
歌詞表は漢字が多く使われていたから、
文語詩ではあるが想像すれば理解もできる要素があった。


歌の練習に入った。
ぼくがリードして、繰り返し歌った。
ほぼ覚えたところで、ぼくは日本から持ってきていた小さなハーモニカを伴奏にして、
全員で歌った。
何回目かの斉唱のときだった。
「いかに居ます父母 つつがなしや友がき、
雨に風につけても 思ひいづる故郷」
二番に入ったところで、一人の女の子がおえつし始めた。
みんなはその子への気配りを示しながらも歌い続けた。


「彼女はおじいさんとおばあさんを思い出したのです。」
と仲間は言った。
「わたしは捨てられた子です。」
と彼女は話したことがあった。
「わたしは二ヶ月の赤ちゃんのときに、おじいさんに拾われました。」
おじいさんとおばあさんは、今七十二歳。
自分をたいせつに育ててくれた。
だからこそ、おじいさんとおばあさんの労苦に報いたい。
もうこれ以上苦労させないために、
日本へ渡ってお金を稼いで故郷に帰りたい。


歌っていると、かならず彼女は故郷の家のことを思い出す。
「ふるさと」の歌は、日本の歌ではあっても、
歌うその人の故郷を思う歌だった。


「志を果たして いつの日にか帰らん、
山は青きふるさと 水は清きふるさと」


ぼくはひとりひとりに訊いて行く。
「みなさんの『志』は何ですか」
彼らは応える。
それぞれの夢を。

いま、NHKの朝のドラマ「純情きらり」で、
アジア太平洋戦争遂行のために家庭の金属を供出する場面が出てきている。
ピアノの線まで供出させられていく場面、
供出前にそのピアノで編曲された「ふるさと」がラジオから流れる。
供出の日、ピアノに別れを告げる主人公が「ふるさと」を弾く。
見ている人々の口をついて歌が湧き起こった。


「ふるさと」はその人の故郷。
歌は国境を越える。
人と人の垣根を越える。
その人その人の故郷がある。