武漢大学の桜 その後


       武漢大学の桜は中国の恥か


ロンドンの新聞社・タイムズの東京支社から電話がかかってきた。
今、武漢大学の桜論争が起こっていることを知っていますか。
武漢大学の構内にある桜をめぐって、中国国内で論争が起こっているのです。
初耳だった。
あなたの書いた「架け橋をつくる日本語」のなかの「桜の謎」を読みました。
あなたの考えや中国の市民の考えを知りたいです。
The Times は、日中関係についてよく報道しているらしい。
論争というのはこういうことだ。


中国・武漢武漢大にある桜の木について、
「植えたのは旧日本軍。侵略戦争のシンボルだ」と批判する声が急増し、
中国の大手ウェブサイト「網易」は3月28日までに、ネット上で、
武漢大の桜は中国の恥か」と題する公開討論を始めた。
同サイトは、武漢大の桜が「中国の恥」かどうかを問うアンケート調査も実施。
29日の締め切りを前に、「恥」ではないと主張する意見が約1万800票、
「恥」とする意見が約9800票と拮抗(きっこう)、
花見の季節に思わぬ論争が起きた形だ。(共同通信


日中戦争のとき、戦略の要衝である武漢を日本軍は占領した。
軍は武漢大学のなかにも駐屯し、構内に桜の木を植えた。
大きな東湖に面した構内には山や森がある大学、中国国内で指折りの美しい風景である。
日本軍は、構内に野戦病院をつくったが、ふるさと日本をしのんで、そこに日本の風景を現出したかったのかもしれない。
桜園と名づけられた場所には、今も70本の当時のソメイヨシノの古木があり、
毎年美しい花を付ける。
満開のときは一万人を越す市民が花を愛でに訪れ、
桜の木の下で写真をとり、並木の下を散歩する。
大学のいくつかの入り口では、開花期の間、一人10元(140円)の入場料をとっている。


桜並木の西の端には、説明板が立てられていて、花の由来が書かれている。
この桜は1940年、日本軍の植えたもので、侵略の証である。
1972年、日中国交が回復して後、日本から八重桜などたくさんの桜が贈られ、
キャンパスのあちこちに植えられた。
これらの桜は、今は日中友好のしるしである。


「桜の謎」には、当時ぼくが教えた学生・ハンさんの作文を載せている。
ハンさんは、戦後どうしてこの桜が生き残ったのか疑問に思い、
桜について図書館で調べた。
すると周恩来首相がこの桜を守ったのだということが分かってきた。
侵略軍の植えた木だから、切ってしまえという声がおこったとき、
これからの日中友好のために残そうと尽力したのが周恩来だった。
そのことが文献から判明したという。
ハンさんは作文にこう書いた。
「歴史は歴史。楽しくても、悲しくても、避けることも、書きなおすこともできない。
戦争によってこうむった被害、今もまだ心の傷は残っている。
だが、いたずらに歴史をかみしめてばかりではいけない。
同じ人間の心で、よく理解しあい、歴史を手本として、
新しい時代の関係を生み出すことが大切だと思う。
そうすると、かならず暗い歴史を乗り越え、明るい未来を迎えることができると私は信じる。
いつの間にか、私は日本語が好きになってきた。
桜の故だろうか。
桜の純粋な美しさのために、日中の純粋な友好のために、
日本語科の学生として、私は自分の微力を捧げようと決意している。」


市民感情はどうだったでしょうか、とタイムズの記者が問うた。
ぼくは当時を思い起こしながら応えた。
市民は、あの桜は侵略の生き証人という認識を持っていたと思います。
だから桜の開花になると、批判を表現する人もいたようです。
しかし、多くの市民や学生は桜を愛していました。
私の接した学生たちは、桜が好きでした。
インターネットのアンケートで、恥の花と応えた人がそれほどもいたということですが、
それは小泉首相靖国参拝に端を発する反日の意識が現れたのかもしれません。
また、近現代の歴史を直視し、事実を認識していく教育が日本ではきわめて弱いですが、
そのことが日本人に現れていることに対しての批判もあるかもしれません。
けれども、ほとんどの市民の感情は、
桜は桜、美しい花として愛する気持ちは変わらないと思います。


このような議論が行なわれることは、むしろいいことかもしれない。
議論によって認識が深まるだろう。
中国の若い人たちも、インターネットで日本や世界の情報を得ている。
日本人は自分の祖国をどれほどよく認識しているだろうか。
中国にやってくる日本人の言動から感じられるのは、
歴史と他者の痛みをよく知らないということだった。
それが西北大学の日本人留学生事件になった。
歴史とアジアの人の心をよく知らねば、日本は自己崩壊の道を歩むことになる。

桜は、守られていくだろう、たぶん。
そうぼくは確信している。