単騎、千里を走る


     単騎、千里を走る


中国の名匠チャン・イーモウ監督、高倉健主演の「単騎、千里を走る」を観てきました。
雲南麗江の街と玉龍雪山がなつかしかったです。


  今朝の明け方、ランがトイレに行きたいと合図したから、
  居間の戸を開けてやったらオシッコとウンチをした。
  その始末をして寝床に戻ってから、ずっと考えていた。
  チャン・イーモウの発しているメッセージは何だろう。


息子との関係を築けなかった老いた漁師の高田(高倉健)は、
息子が末期ガンであることを知る。
老父は、自分を拒絶する息子が中国の李加民とかわした約束、
彼の演じる仮面劇「単騎、千里を走る」の撮影をすることを、
自分がやってやろうと、
たった一人で見知らぬ中国の奥地、雲南麗江へ出かけていく。
高田は言葉もわからない。
日本から来た一老人の願いは簡単には実現しない。
老人を阻む厚い壁にむかって、朴訥にひたむきに、真情を伝えていく。
言葉の隔絶、
役所と庶民の隔絶、
日中の隔絶、
さまざまの障害。
しかし、真情が伝われば、真情が返ってくる。
信義で接すれば、信義が返ってくる。
単騎、千里を駆けてきた日本の老人に、中国の人びとは扉を開いていった。
監獄(刑務所)は扉を開き、李加民に会うことを許した。
李加民の真情を知った高田は、李加民の子どもヤンヤンに会いに石頭村へ行く。
石頭村の村人たちは、一人の遠来の客人のために、
村の道にえんえんとテーブルを並べ、ごちそうを置いて、宴会を開いてくれた。
村長が叫ぶように言う。
李加民とヤンヤンは、まぎれもなく親と子だ。
だが、李加民は何年間も父をしてこなかった。親ではない。ヤンヤンは村人が育てる。
ヤンヤンが求めるもの。
李加民の求めるもの。
李加民親子を引き裂くもの、
それを溶かすもの。
高田親子を引き裂いてきたもの、
それを溶かしたもの。


人と人をへだてる心の中の壁。
心を伝えようとしないこと、心を汲もうとしないこと。
チャンイーモウは、日本と中国の庶民の魂をメッセージにこめている。


チャンイーモウは、中国の出演者に素人の庶民を起用した。
素人だからこそ彼らが実生活で背負うものが、にじみでてくる。
それがドラマの内容と重なってくる。


田舎の映画館でした。
観客は十人ほどでした。
なんだか寂しくなりました。


高倉健は、単騎、千里を走りました。
チャンイーモウは、単騎、千里を走りました。