別れの詞


         別れを惜しむ心
 

洪さんは小さなメモ用紙の一枚に、「蘇軾 蘇東坡」と書いた。
この人、知っていますか。
知っていますよ、でも詳しくは知らない。


公民館で行なってきた国際フレンドの会、日本語の学習、
ぼくら夫婦はこのボランティア活動に参加してきて、
この春この地を去る。
19日の日曜日、先生と生徒たちははやばやと送別会をしてくれたのだった。


食事をしながら歓談しているとき、
となりに座った洪さんは、中国の宋代の「詞」ですと言って、
メモ用紙にボールペンですらすら書いていった、
それが蘇東坡の「『水調歌頭』 明月幾時有」という詞だった。


「明月幾時有 把酒問晴天 ‥‥」
彼女は口ずさみながら詞の全文を書いた。
ぼくは感心して眺めていた。
いつその詞を覚えたのですか。
中学校のときです。
中国の学校では、古典を教えたとき、暗記して覚えさせます。
それが体にしみこんでいるのだ。
この部分、お別れのときに中国ではよく歌われます。
洪さんはボールペンで指し示した。


「人有悲歓離合
 月有陰晴円欠
 此事古難全
 但願人長久
 千里共嬋娟」


日本語をまだ十分駆使できない洪さんの説明ではよく分からないが、
中国の人たちの別れの気持ちはよく分かる。


唐の時代は詩、宋代は詞がよく詠まれた。
蘇軾の『水調歌頭』には、
現代風の曲をつけてテレサ・テンが歌っているのもある。
「春宵一刻値千金」の詩で有名な蘇軾(蘇東坡)は、
政争の嵐のなかを左遷・投獄・流刑を繰り返し、
波乱の人生を生き抜いた不屈の人だった。


洪さんの言った部分は次のような内容だった。


人の世には悲しみも喜びも、出会いも別れもある。
月には晴れたり曇ったりがあり、満ちたり欠けたりがある。
このことは、昔から人間の思い通りにはならないことだ。
離れている人と会うことはできないけれど、
願わくは、共に建康で長生きできるように、
遠く離れても美しい中秋の月を共に眺めよう。


中国の人たちは昔から、人と別れるとき、
別れを惜しむ気持ちが深い。
別れればいつ会えるか分からない広大な国のこと、
杯を交わし、はるか遠くまで見送って別れを惜しんだ。
日中の国交回復を実現させた田中角栄首相が中国から帰国するとき、
周恩来首相は北京から上海まで、
田中首相を送ってきたという記事をよんだことがある。
やはり中国だなと思った。


信義には信義、
恩義には恩義で報いよう。


帰りに生徒たちが、別れの記念品ををくれた。
引っ越す日は、まだですよ。来月ですよ。
まだ一月あるから、それまでもっと日本語の勉強をしましょう。