野の記憶     <13>

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野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収・改稿)

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 安曇野のJRの各駅を出発点に、既存の道も使って各地にフットパスをつくれないものか。たとえば豊科駅から西へ、下堀や中堀の屋敷林の集落を通り、烏川渓谷まで歩く道。春の烏川渓谷にはオオルリがさえずり、秋は落ち葉が降り敷く。落ち葉を踏む音は優しい。このときグールモンのあの詩が心に浮かぶだろう。

 

  シモーン、木の葉の散った森へ行こう。

  落葉は苔と石と小径を被うている。

  シモーン、お前は好きか、落葉ふむ足音を。……

 

 白鳥湖へも、穂高温泉郷、光城山、長峰山へもフットパスは伸びる。小道の各所には木のベンチがすえつけてある。

 1960年代、25歳の時、僕は日本のフットパスを歩いた。東大寺から明日香まで伸びる古代からの「山辺(やまのべ)の道」。万葉集を手に、春に秋に日本最古の道を歩く。雲立ち渡る弓月岳(ゆづきがだけ)、連なる青垣山、眠るような村を抜け、寺社に寄り、畦道を渡り、春はレンゲ咲き、秋は彼岸花咲く。柿が色づいていた。迷いつつ小さな道標を頼りに歩く。

 フットパスの発祥地イギリスを歩いたのは還暦を過ぎてからだった。21世紀になっていた。湖水地方の牧場を横切り、羊を見ながら湖のほとりを行く。藪からウサギの群が飛び出てきた。ドイツの野の道も歩いた。菩提樹の茂る小川のほとり、木陰のベンチに座って水面にマスの姿を追う。チロルの村を歩いた。牧場に沿って並木があり、それぞれの木の幹に小さな金属のプレートが付いていた。並木基金に寄付をしてくれた世界の旅人の名前とその人の国名が書かれていた。ベンチに腰をおろすと、教会の塔のてっぺんでクロウタドリが村中に響き渡る美しい声でさえずっていた。

 イギリスの宣教師で登山家だったウェストンは明治27年夏、糸魚川から松本まで歩いている。糸魚川街道がまだ健在だった。蓮華温泉に立ち寄り、白馬岳を見ながら大町に入り、8日目、穂高のとうしやという宿に泊まった。安曇野は桑畑と松並木のつづく道。村の小学校に通う子どもたちが、うやうやしくお辞儀をしてくれた。豊科に入ると、その年の三月に大火があって、大半の家が焼け、人びとは灰燼から不死鳥のように起ちあがろうとしていた。

 僕は安曇野に住んで2年目の春、碌山美術館で毎年行われる碌山忌コンサートに行った。小さな美術館だが明治の彫刻家碌山をめぐる人たち、ロダン、井口喜源治、心ひそかに慕う黒光。そのロマン薫る麗しい美術館が好きだった。美術館の華は黒光をモデルにしたと思われる裸婦の像。

 美術館の庭で、井口喜源治の作った詩にフォークソング歌手の三浦久が曲をつけ、熱唱した。

「水豊かなる万水(よろずい)の/ほとりにわれは生まれけり/河辺の柳うちけぶり/すみれの匂う春の朝/雲雀の声に夢覚めて/雀の巣をばあさりつつ/水鶏(くいな)の雛の後(あと)を追い‥‥」

 歌に感動し、喜源治を偲んで、僕は百水川をさかのぼってみた。地下水の吹き出す豊かな泉があった。だが上流になると木々もなく、何の趣もない、ただの水路に変わってしまった。これが安曇野の現実だ。

 安曇野も酷暑の夏にうだるようになった。日中、堀金の山麓線の車道を外国人老夫婦がザックを背に歩いていた。木陰の無い道をどこまで行くのだろう、熱中症は大丈夫か、そう思いつつも声をかけることができず、悔いが残った。

 広域農道を自転車に荷を積んで押して歩く老人がいた。車の多い広域農道は、自転車に乗って走ることはとてもできない。歩道が無いところでよろめけば命はない。フラワーセンターから南へ老人は行こうとしているが、体すれすれに車が行き過ぎる。おびえる老人は何度も道端に立ちすくむ。

 歩いて歩いて世界に拡がった人類、街道にはいくつも休息のオアシスがあった。オアシスには樹木が茂り広場があり水場があって、歩き疲れた体と心を休ませる。古代の中国にあり日本でもつくられた一里塚、街道には一里ごとに塚をつくり、エノキなどの木々が茂って木陰をつくっていた。

 現代には現代のオアシスが必要だ。車社会であるからこそオアシスが必要だ。

 僕は「安曇野オアシス」を提案する。そこには車は入れない。広場があり、カフェやレストラン、朝市が立ち、手作りの野菜や果物、手芸品の露店も出る。楽器を演奏する人、絵を描く人がいる。将棋や囲碁をしている。ドッグランもあって、犬たちの運動場兼社交場になる。

 広域農道沿いの三郷の楡(にれ)はオアシスの候補。すでに園芸店、物産店、市場(いちば)がある。堀金上堀には物産店やホール、公園がある。穂高、明科、豊科にもオアシスをつくる。

 主要道路の歩道には並木が茂る。そのてめの基金は、「オアシス・並木基金」プロジェクトを立ち上げてつくる。