狭山事件の意見広告

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先日朝日新聞に、一面全体の意見広告が出ていた。

 「56年間、無実を訴えつづける人。石川一雄80歳。

 石川さん、無実です。狭山事件の裁判のやり直しを求めます。」

 石川一雄さんの写真も出ている。

 あー、狭山事件の闘争はまだ続いていたのか。僕の頭に半世紀前がよみがえった。石川さん、こんなになったか。頭はすっかりハゲている。細めた目は視力の衰えを感じさせる。

 28歳の僕は、被差別部落の子どもたちが通う中学校に赴任し、その地で13年間教職についていた。そこで僕は教職員組合の活動に積極的に参加し、部落解放運動の熱と光に触れた。根底に部落差別をはらんだ狭山事件は、弁護団、学者、人権団体による究明と現場検証によって、多くの矛盾と疑問が掘り起こされ、冤罪事件として大きな闘いの対象となった。闘いは、部落解放同盟だけでなく、全国的な労働組合が結集した。しかし判決は、第一審が有罪、死刑だった。裁判は最高裁まで行き、最後の判決は有罪、無期懲役だった。石川氏は裁判の最初から無実を訴え続けていた。31年と7か月の獄中生活を経て、石川氏は仮釈放された。この仮釈放の時、僕が抱いた疑問は、明白な有罪であればそうはならないのではないか、司法界に何らかの良心の呵責があったからではないか、という想いだった。そして高齢の石川さんが一応の自由の身になった時から、狭山事件のことは僕にとっては遠い記憶になっていた。

 2019年5月、この事件は生き続けていることを知った。

 そして、その意見広告の下に並んでいる広告の賛同団体を見て驚いた。そこに並んでいる労働組合は、かつて自由と正義と人権を守る炎の闘いを展開していたなつかしい労組の名前だった。

 自治労日教組、私鉄労連、国労、全農林、日放労、‥‥

 それはまた一つの驚きであった。今や、労働組合は健在なりと、自信を持って言える団体があるのかという悲観が日本をおおっていると感じていたからだった。

 労働組合が健在でない、あるいは弱体化し存在しない企業、官公庁、学校は、どういう質や構造をもつようになるか、それは明々白々だ。僕の地域の市役所や地域の学校にもそれを感じる。

 

 この一面広告に希望を感じる。それとともに、もやっとした不安と危惧も感じる。