野の記憶     <16>

f:id:michimasa1937:20190421025842j:plain

 野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収・改稿)

     <16>

 

 1974年刊行の小説「安曇野」に臼井吉見が書いている。

 吉見は陸軍の少佐として本土防衛の任に就いていて敗戦を迎えた。軍は解体され、吉見は安曇野の我が家に帰ってきた。そこで見たのは、戦時中に伐採された屋敷林だった。

 「田圃を越えて、生家が見えてきたとたんに、僕の目を驚かせたのは、森に囲まれたみたいだった家が、まるで羽をむしられた鶏のように、秋空の下にむきだしに近い形で、屋根屋根をさらしていることだった。屋敷の門口の左右にそびえているはずの二本のケヤキが姿を消している。ほかにもケヤキの23本、杉や栗の10数本も見えない。

 二階から駆け下りてきた妻と顔を合わせると詰問した。どうしたんだ? 誰が伐ったんだ? 」

 何度も詰問されて妻は答えた。軍用の木造船をつくるとかで供出させられたと。吉見は無性に腹が立った。

 「子どものころから村一番のケヤキだった。秋が近くなれば、何百羽とも知れぬレンジャクの大群が渡ってきて、この二本の大ケヤキで羽を休ませ、ひとしきり盛んな評定をやってから再び飛び立つのだった。あの羽の黄色は僕の好きな色だった。葉が散りつくして枝を網のように空に広げるころになるとモズがやってくる。粉雪が降るころになると、ツグミの番だ。彼らは五、六羽ずつで訪れては二時間でも三時間でも遊んでいく。年が明けて姿を見せるのはホオジロで、たいてい一羽でやってくると、春の近づく喜びを知らせるかのようにさえずりつづける。一斉に新芽をふいてケヤキの全身が柔らかな緑に包まれると、一枚一枚の葉っぱが命が鼓動するかのように、ふるえやまない。葉ずれのそよぎも見られない炎天下には、盛んなセミしぐれが聞かれた。冬の夜空を仰いでも、このケヤキの梢にかかった星くずがことのほか美しかったように思えてならない。」

 

 臼井吉見は、かけがえのない宝だった屋敷林のケヤキの思い出を詳しく描写している。そして切り株に腰を下ろして彼は思う。自分が本土決戦に備えて軍務に就いていたときは、このような暴挙のさらに何千倍、何万倍にもなるような暴挙を、九十九里地域でやってきた、あの地域の住民にどれほどの痛みを与えてきたかという自責の念だった。

 

 九州水俣で不可解な病気が起こり始めたのは1940年代の初めで、アジア太平洋戦争が熾烈を極めるころだった。水俣の海の魚を食べた人にそれが発症し、原因物質はチッソの工場廃液、有機水銀であることを公式に認められたのは敗戦から11年も経ってからだった。

 「子どもたちは真っ裸で、舟から舟へ飛び移ったり、海の中へどぼんと落ち込んでみたりして遊ぶのだった。夏は、子どもたちの上げる声が、蜜柑畑や夾竹桃(きょうちくとう)や大きな櫨(はぜ)の木や石垣の間をのぼって、家々に聞こえてくる。」

 石牟礼道子は「苦海浄土」に書いた。美しい海の時代。

 命豊かな海は子どもの天国。子どもたちは夏の日盛り、潮の香のなかを叫び声をあげて遊び戯れた。その海を大企業チッソは死の海に変えた。チッソの廃水によって毒をまかれた海の、その毒を蓄積した魚を食べた人たちは体を壊され命を奪われ、海には漁民の姿はなく、遊ぶ子どもたちの声も消えた。「苦海浄土」を書いた石牟礼道子は終生「水俣」に寄り添って生き、水俣病患者の生と死を聖なる文学に結晶させたのだった。

 石牟礼道子と同時代を生きた詩人、茨木のり子は怒りからの希望を詠った。

 

  どこかに美しい村はないか

  一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒(びーる)

  鍬を立てかけ籠を置き

  男も女も大きなジョッキをかたむける

 

 僕はいま、毎日野を歩く。ある日、西の空が夕日に染まった。それを見たとき、ムンクの絵「叫び」が頭に浮かんだ。真っ赤な空、耳を抑えて叫ぶ男の姿。不気味な絵が叫んでいる、孤独と絶望を叫んでいる。

 そう思ったとき、絵の赤い雲の中からチェルノブイリの石棺とフクシマの残骸が僕の頭に浮かんできた。

 

 安曇野のど真ん中に立って僕は考えた。東に美ヶ原、西に北アルプス。雪残る連嶺。爺ヶ岳の「種まきじいさん」の雪形が見えた。

 

春だ、春はスプリング、SPRING、

スプリングは泉だ、

スプリングはバネだ、

噴き出す、跳ぶ、芽を出す。

春は命だ。

草や木が新緑に輝いている。

春は泉、ばねのように大地から湧き出づる。

 

 何をすればいいのか。

 何をしなければならないのか。

 

 まずは野に出よう。

 野を歩こう。

 頑丈な木のベンチ作って近くの道端に置こう。

 老いた人も、障がいのある人も、孤独な若者も、家から出よう。

 あちこちに置かれたベンチに休みながら野を行こう。鳥たちの声を聴きに行こう。

 魂の居場所へ、

 そこから始めよう。