野の記憶    <11>

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野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収・改稿)

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  全国を歩いて常民の故郷を研究した民俗学者宮本常一は囲炉裏について書いている。

 「囲炉裏が消滅して日本人の性格は変わった。囲炉裏ほどみんなの心を解きほぐし対話させる場は他にない。火を焚く体験がなくなって、人は瞑想的なものを失っていった。魂を凝縮させるものは囲炉裏のような光の中にある。」

 囲炉裏の消滅は、暮らし方と建築の質的な転換によるものだ。暖房設備の変化、外気を遮断する構造への転換、家族の暮らし方の激変など、生活文化の変わりようは囲炉裏を消してしまった。 

 司馬遼太郎の慨嘆は深い。

 「江戸後期依頼、本質的にはほぼ不変だった日本の農村の倫理と暮らしは、高度経済成長を経て、音立てるように崩壊した。人の世には、まず住民がいた。人間の暮らしが最初にあって、国家が後から軍鼓とともにやってきた。国家には興亡があったが、住民の暮らしの芯(しん)は変わらなかった。その芯こそ、日本というものであったろう。その芯が半ば以上滅び、新しい芯が芽生えぬままに、日本社会という人間の棲む箱は混乱し続けている。」

 宮本常一司馬遼太郎が見た日本人の暮らしの変化は、その後も恐ろしい勢いで続いている。家族がそろって食事をするという団欒の形も、ご近所さんとのつながりも淡いものになっている。

 日本の景観は、清潔で新しくはあっても秩序のないことにかけては突出すると、社会学者、松原隆一郎は述べ、戦争で壊滅したワルシャワ市民がまず歴史的な建物や地区を戦前の絵画や写真、地図にもとづいて復元したことを紹介している。復興とは過去の記憶を再現することというワルシャワ市民の確固たる意志がそこにあった。それは魂の居場所の復元だった。

 歴史が暮らしのもとにあるというベースにもとづいて、戦争によって破壊された居住区、魂の居場所を復元させていったという事例は、ワルシャワだけではなく、ヨーロッパに共通している。

  松原隆一郎が瞠目したのは神奈川県真鶴町だった。このままでは美しい故郷は滅びる、成り行きに任せてはならないと、住民・行政は、景観の崩壊を経済や法の特質までさかのぼって分析し、政治論や認識論を駆使して対案を提起し、景観条例を制定したのだ。そして「美の原則」を生み出していた。要旨はこういうことである。

 「建築は場所を尊重し、風景を支配しない。建築は場所の記憶を再現し、私たちの町を表現する。建築は人間の大きさと調和した比率をもち、周囲の建築を尊重する。建築は町に独自な装飾をつくりだし、芸術と一体化する。人びとは建築に参加し、コミュニティを守り育てる権利と義務を有する。美しい眺めを育てるためには、あらゆる努力をしなければならない。」

 真鶴町安曇野市姉妹都市の関係を結んでいる。安曇野市真鶴町に学び環境条例を定めた。条例は、住民が快適に安心して生活でき、子どもたちが健康に育ち、歴史と文化と自然が香る環境づくりを都市計画の基本とする。