野の記憶   <3>

 

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野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収の原作)

 

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 明治維新後の東京の開発はめざましかった。富国強兵の槌音は全国に広がり、都市建設とともに軍事施設の建設が著しく進行した。吉江はパリを守るように保全される周囲の森林を思い浮かべたのだろう。パリに比べて東京は丸裸だ。さらに武蔵野などの森を開き、都市化が拡大している。その様子に危機感を抱いていたのではないか。江戸時代には、大火は六十回起きている。小さな火災は数えきれない。明暦の大火では死者十万人、江戸の大半が焼けた。江戸では冬から春先に強い季節風が吹き続け、数十日、雨が降らない。また春や秋口に、強い南風が吹く。ほとんどが木造建築の江戸にいったん火の手が上がると、紅蓮の炎はとどまることなく広がる。それらの歴史を知る吉江は予感していたのだ。そしてそれが起こる。

 大正12年9月1日、強風が吹き荒れた。午前11時58分、マグニチュード7.9の大地震が発生。食事に火を使っていたときだったからいたるところで火の手が上がった。

 震災は東京を中心に千葉,埼玉,静岡,山梨,茨城,長野,栃木,群馬の各県にまたがっていた。家屋の全半壊は26万棟、消失は46万戸、十万人を超える死者が出た。

 さらに続く。この関東大震災から22年後、米軍による東京大空襲がやってくる。東京は百六回の空襲を受け、罹災者が百万人を超えた。

 これが吉江の予言であったのではないか。

 さらに吉江は、

「大都市の中から生存の姿を消し去った後までも残紅は何かを暗示しつづける」

と言った。生存するものがいなくなるということは何を意味するか。このようなことはまだ起きていない。これから先の未来に起きることだとすれば、それは何が考えられるか。2011年3月の東日本大震災福島原発の爆発は、まさにその到来を予感させた危機一髪だった。自然災害による危機とともに、人災のもたらす危機は生命の存続そのものを脅かすものであるという予告をあの災害は示した。