野の記憶    <12>

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 野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収・改稿)

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 二〇一七年三月、安曇野市役所の大会議室で開かれた屋敷林フォーラムに僕も参加した。討議に入って、武蔵野市富山県砺波市安曇野市の代表から発表があった。

 初めに武蔵野市の発表。

 武蔵野市民は、歴史的に武蔵野の自然を喪失してきたゆえに、緑を取り戻そうとする意識が高い。市内の公園は百八十二カ所あり、樹木が茂り憩いの空間になっている。武蔵野市には「緑のボランティア団体」があり、生垣の刈れない家に出向いて刈ったり、落ち葉の掃除をしたりしている。武蔵野市では大きな樹木は指定して保護している。

 砺波市は、散居村と呼ばれる屋敷林の点在する田園の美しい景観を報告した。富山平野の一部、砺波平野の屋敷林は北陸線の列車からも見とれる景観である。その保護は住民の使命であると訴えた。

 安曇野市は、「屋敷林と歴史的まちなみプロジェクト」が報告した。安曇野が重視したのは、市民の意識だった。プロジェクトによるアンケート調査では、「屋敷林は要らない」、「屋敷林が無くなっていくのはやむを得ない」と応えた人が五十%近かった。落ち葉が困る、日陰になる、交通の邪魔になるというのが主な理由だった。防寒、防風に備えた屋敷林も、生活様式と家屋構造の変容からやっかいになってきて、伐採する人もいる。しかし安曇野の景観を構成し、人々の心を涵養し、住民に愛されてきた屋敷林は、私有林ではあるが公共の意味を持つ。屋敷林保護は市民の課題である。

 夏、孫たちと、僕は大王わさび園へ行った。バイカモ揺れる清流や、樹林に囲まれたわさび田に、心も体も洗われた。確かにここは別天地だ。ところがここもまた一点にすぎない。園を出ると熱射と車列によってわさび園の涼感と感激は泡と消えた。園の入り口に大規模な駐車場が広がり、車列が夏の熱射を照り返す。せめて駐車場を取り囲むような樹林があれば、露出する車を隠し、いくらか景観美が守られ熱射を防げるものをと思う。

 わさび園を出ると、外にはわさび園と調和する景観の広がりがない。穂高駅から園まで木陰の歩く緑道があり、途中にベンチがあるならば、高齢者も子どもも楽しんでわさび園まで歩くだろうにという想いしきりに湧く。

 「あづみのシティマップ」の「わが区の紹介」のなかに一つ、心に響く区があった。明科の潮沢区だ。

 「潮沢区に残る旧篠ノ井線廃線敷、歴史を後世に残そうと、区民が立ち上がり、この廃線敷を片道六キロメートルの散策路に整備しました。赤レンガ造りの漆久保トンネルや、トンネルを抜けた先に広がる三万本のケヤキ林の景色などにひかれ、区民だけでなく観光客も訪れています。」

 旧国鉄篠ノ井線は、昭和六三年に新線ができて旧線は役目を終えた。その旧線跡を区民は散策路として保存した。秋、僕は妻と犬のランと一緒に散策路を歩いた。廃線敷には落ち葉が降り積もり、古ぼけた信号灯が銀河鉄道のように立っている。漆久保トンネルはレンガ壁の天井に煤煙の跡が残っていた。トンネル横の細い山道は善光寺詣での昔の道だ。三万本のケヤキ林は、山の斜面を覆い、春になれば芽吹き、新緑に輝き、夏は木陰をつくり、秋は黄葉に染まる。新しく付け加えられたものは何もなく、歴史だけが降り積もる。小鳥が鳴いている。たたずんで耳を澄ます。ベンチに座って木々の声を聴く。ただ歩くだけの道、懐かしく、いとおしく、心が潤う。

 これぞ「パブリックフットパス」だった。