野の記憶   <4>

f:id:michimasa1937:20190330191316j:plain

 

 

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収の原作)

            <4>

 朝鮮戦争後、経済発展に伴う大阪府周辺部の農村地帯の変貌は急激だった。野放図な宅地開発と建設が河内野を埋め尽くした。農業はほとんど壊滅する。

 一九七〇年、僕は結婚し、河内野を去り斑鳩の近くに引っ越した。ところが大和の「まほろば」は、薄田泣菫がうたった神無備の森の小路にも、竜田川の畔にも、スプロール現象が及んでいた。東大寺近く、佐保山の風致地区にディズニーランドの日本版「奈良ドリームランド」が開園していた。だが、バブル期に賑わいはしたがその後21世紀に入って施設は閉園しゴーストタウンとなる。

 利潤追求に奔走するものたちは、歴史も何も考えず開発に奔走した。当然それは子どもの世界を破壊した。 

 「子どもの原っぱ」消滅を訴えた人がいた。文芸評論家の堀切直人だった。

 「原っぱは子どもにとって、パワーの場、安全の場、可能性の場、源泉となる。子どもは、自分が地球に向かって意思表示すると、母と同じように地球がそれに応えてくれることを学ぶのだ。子どもは、草や木や花といった自然環境に囲まれた大いなる平和と静けさ、原っぱを必要とする。」

 その原っぱが消えた。文芸評論家の奥野健男も危機を叫んだ。

 「子どもは、学校とは違う世界、原っぱを持っていた。そこは学校の成績や家の貧富の差などにかかわりのない、子どもたちの別世界、自己形成空間であり、原っぱこそ

子どもたちの故郷であり、原風景であった。秘密の隠れ場であり、遊び場であった。」

 原っぱは、地域によっては、里山、雑木林であり、小川であり、海辺であった。虫や鳥や魚がいた。子どもらはそこに自分たちの世界を作り、冒険、探検、創造、観察に没頭しながら友情を育み、人間の基礎になる体験をした。

 藤原新也の小説「乳の海」に一人の青年が登場する。

 青年は精神を病む。彼の住む新興住宅地は各家のデザインが異なっていて一見個性的に見えるが調和に欠け、不協和音を奏でていた。その環境が青年の心に影響をもたらすようであった。家の個性は長年住み続けることによって生まれる。「柱の傷はおととしの、五月五日のせいくらべ」、家には家族の暮らしてきた年輪があり、歴史という個性がある。そのなかで心の安らぎを得る。だが青年の母親も新しい真っ白な空間の中で自己失認の不安に駆られ、やがて恐怖や神経症に悩むようになっていた。母親にとっては我が子だけが、自分を自分たらしめる存在だった。藤原新也の描くのは、魂の居場所のない孤独な現代の閉鎖空間だが、青年も母親も自己を解放する場がもてなかった。子どもも親も地域の自然や人との交わり中で魂の居場所をつくることができなかった。人の心を育む風土の歴史性も崩れていた。