自殺は激化の一途


<養蚕が盛んだったとき、お蚕さんの暖房に使った火鉢>



中国人青年J君の日本語練習ノートにチェックを入れながら、そこに書きこまれた日記を読んでぼくは返事を書く。
それは交換ノートのようになった。
彼は21歳、中国では機械加工の工員であった。日本に技能研修生として行くことになってから日本語を勉強した。
数ヶ月の日本語学習をして、彼は仲間たちと日本に来た。
そして1ヶ月間、日本で日本語学習をして彼らは日本の企業で機械加工の研修をすることになる。
J君の日記の中の話題は自殺になった。そのきっかけは、ぼくが授業のなかで日本の経済状況にからめ、
就職できない高校・大学の卒業生が多数いることを話した。
さらに失業者も増えていること、最悪は、失業し家を失いホームレスになった人たちが公園や河川敷に住み、自殺者が昨年3万2千人を超えたことなどを話した。
この話を聞いた彼らの顔に驚きの表情が浮かび、真剣な顔になった。
日本でそんなことが起こっているのか、日本はそんなにも大変な状態なのか。
J君のノートのなかのやりとりはこんな風に続く。


「先生は、日本では失業者が多く、毎年3万人以上の人が自殺すると言いました。私はたいへん悲しいです。だから今知識を一生懸命勉強しなければなりません。現実はたいへん厳しいですね。
昔、日本人は一生懸命働きました。自分の子どもと交流することが少ないです。たくさんの人の心はたいへん脆弱です。日本は今たいへん発展ですが、田畑が少ないです。仕事がなかったら生存することはたいへん難しいです。でも中国は田畑が多いです。物価なども安いです。貧しくても生存しやすいです。国が発展したら人の圧力も重いと思います。親は子どもの愛好の教師です。日本や中国などは、家庭教育を強化したほうがいいだろうと思います。」


彼は「脆弱」という語を使っている。辞書を引いたのだろう。
「日本は今たいへん発展です」というような言葉の間違いはあるが、中国で数ヶ月しか日本語を学習していない割には、かなり日本語のレベルが高い。
中国では市場経済に移ってから農から工へ人口が移動してきた。
それでも農民人口はまだ6割を占める。しかしその農民の農業収入は極端に少ない。今後ますます農から工への人口移動は続くだろう。
「親は子どもの愛好の教師です」というのは、「親は、子どもの愛する教師」ということだろう。中国の伝統では親子のつながり、家族の結束はまだまだ強い。
「国が発展したら人の圧力も重い」という彼の意見は、ストレス社会を指しているように思える。


「なるほど今の日本は、親子の交流が少ない家庭が多いかもしれません。日本は今経済が危機にあり、失業者が多いですから、なんとかして仕事を増やすことが大きなテーマです。そこで農業分野に若い人が入っていくことも考えられていますが、まだまだです。」

「今日は、日本語の勉強は休みでした。故郷や家族を思い出しました。故郷は古くて、きれいな町です。蓮の花がたくさんあります。いちばん好きです。蓮の花は清らかな花です。
私の故郷には有名な黄河があります。子どもの時、いつも家族といっしょに、田畑で働きました。疲れましたが楽しかったです。今、いい思い出になります。」

「蓮は濁った水の中でも、きれいな花を咲かせますね。家族みんなが畑で働くのは、いいですね。
ところで中国では自殺する人はどれぐらいいますか。失業者は生活費をどうしていますか。」

「中国では自殺する人はたいへん少ないだろうと思います。今まで知っている人の中で、一人だけ自殺しました。でも経済問題とは関係がありません。今中国でも経済状況は悪いです。でも生活に問題はありません。たくさんの失業者は仕事に要求が高いです。自分の生活基準を下げたら、仕事を見つけることは易しいと思います。自分の状況によって生活費は違います。詳しいことは分かりません。今の社会、一生懸命努力したら、生活することはまず大丈夫です。
私は日本語で答えるのはたいへん難しいです。」

「自殺者が中国で少なく、日本で多い。これは日本の社会の、人と人とのつながりが薄くなっていることに原因があるかもしれません。苦しんでいる人が、自分の苦悩を周りの人に話していないし、周りの人が気付かないことも多いと思います。日本社会が希望を持てるようになっていないこともあるでしょう。」


果たして、中国では自殺者が少ないと言えるのか。インターネットで調べてみると、中国では年間25万人以上の人が自殺しているという情報が載っていた。これは驚きだった。
そうすると、中国は日本の人口の10倍だから、自殺の比率は日本と中国は近い。北京の精華大学研究グループの調査というのも載っている。中国の農村部では、毎年15万人以上の農村女性が自殺しており、未遂は100万人に上る、原因は家庭と夫婦の問題だという。
WHOのデータでは、1999年の中国の自殺者は、10万人に13.5人、農村部は22.5人となっている。それからすると経済発展と共に急ピッチで率が高くなっていることになる。
日本では、この10年、1年間に3万人を超えている。
Jさんたち中国の青年たちに、25万人という説を話したら、へえっ、という驚きの顔をした。
そんなニュースは知らなかった、という。
国営テレビでは放送されないのかもしれない。
「自殺、自死」は、家族や周りの人にとってはたいへんなショックである。できるならば、世間に知られたくないという心理が働く。
自殺が事故死や病死にされることもあるし、逆に、他殺を自殺に見せかけたりすることも起こる。
データはどれだけ正確なのか分からない。
データは常に誤りをはらんでいると考えておかねばならないが、大量の死が起こっているのは事実だろう。
問題はなぜ大量の死が起こっているのかにある。
社会状況や家庭状況、自然の摂理に反する人間の生活、そのことの反映として自ら命を絶つことが起こっているのであるから、この時代、この社会の、病弊、闇、不条理をえぐりだすことから始めねばならない。
文明がこんなになってはいなかった時代では、このように自ら死を招くことはなかっただろう。