日本人の性格、中国人の性格




中国人の民族性とか日本人の性格とか、よく言われる。
日本人は勤勉だというが、むしろ中国人の方が勤勉で、勉強姿勢は猛烈であるようにも思える。
人間の性格・気質は簡単にこうだとは言えない。
中国人といっても56民族いるわけで、さらに時代が変わるにつれて生活環境が変わり、それにともなって生き方も変わるだろう。
日本人も、時代によって性格・気質も変化している。


中国4000年の歴史を持つ『気』の医学の研究実践家である、気功法の伝人、屠文毅さんがこんなことを書いている。


 「ストレスが万病の元であることは、既に周知の事実です。中国では古くからこのことを観念的にとらえており、ストレスを溜めない生き方が国民レベルで染み付いている。中庸を良しとし、肩の力を抜いて生きることに長けているのです。
 対して日本では過労死が後を絶ちません。何ヶ月も休みをとらず、毎日深夜まで働き続けたあげく心臓発作で急死したり、うつ病にかかって自殺したりする。ですが、中国では13億人以上の人間が住んでいるというのに、働きすぎて死ぬ者などはほとんどいません。そもそもからして、うつになるまで働くことは、中国人にとって美徳ではないのです。
 これは中国人にとっての仕事が『豊かに暮らすための手段』にすぎないからにほかなりません。ですから、中国人にサービス残業をさせるなどというのは、どだい無理な相談です。労働は、すべて賃金に換算される前提でしか、するものではないのです。これは、中国社会では至極当然のことなので、中国人の多くは意識すらしていないでしょう。
 さらに仕事に関していえば、中国人は失業を恐れません。もともと中国では縁故採用が多く、会社も簡単にクビにできないという背景もあるのですが、たとえ縁故採用とは無縁の人でも、嫌なことが続けば、あっさりと会社を辞めてしまいます。知り合いを頼れば、別の会社に案外簡単に再就職することが出来るからです。
 中国では子どものころから、強固なネットワークづくりをします。人間関係の土台ともいえるこれがある限り、会社という小さな社会での進退など、どうということもないのです。
 そして何より国が広い。一つの場所でダメでも、ほかへ行けば何とかなる。各地を転々として一生食いつなぐこともできます。
 最もストレスの原因となる仕事と人間関係において、中国人は精神的に猛烈にタフです。そしてそのタフさは、古くから民族に刻み込まれた養生訓によるものなのです。
 もっともその反面、中国人の仕事は少々ゆるい。こまかいところまで精神が行き届かず、チームワークもあまりよくありません。
 勤勉で、几帳面で、会社のために社員が一丸となって働く、中国人の私から見ると、日本人の仕事に対する姿勢は本当に素晴らしいと思う。ただ、『ストレスを溜めない』という点においては、中国人の生き方を少し学ぶべきかもしれません。」


日本人の猛烈社員や過重労働は、好き好んでやっているわけではなく、企業、生活がそれを押し付けているからそうなっているわけで、むしろ社会問題のテーマだが、そういう社会をつくってしまっているという点から考えると、日本人の性格や生き方、考え方が影響しているともいえる。
ストレスを蓄積するような暮らしという点では、日本人と中国人を比較すると、中国人のほうが圧倒的に、ストレス抜きを暮らしの中に持っている。
ストレスに対する考え方、気の持ち方、困難にぶつかったときの対処の仕方、これは日本人の大きなテーマだ。
朝も晩も、公園に集まり、公園を100パーセント活用して、太極拳をしたり運動をしたり、ダンスをしたり、通りのいたるところで将棋や囲碁、トランプをしている人たちを見ていると、中国人の隣近所や地域のつながりは強いものだなと感心する。
しかし、これも経済発展が世界一になった中国で、これからどうなるか。


中国の山西省、黄土高原で、村人の中に融けこみ、日中戦争での証言を高齢者から聴き取り、写真に収めておられる大野さんという年配の女性のブログをぼくは愛読している。
戦時中の日本人しか知らなかった村人たちは、この人に出会って、日本人とはこういう人間なんかと認識を一変させた、
その暮らしぶり、現地の人への入り込み方、心の優しさは、すごい。
『黄土高原 紅棗(なつめ)がみのる村から』というタイトルのそのブログの最新に、次のような記述があった。
少し長いが、興味をそそられたので、ここに一部分を掲載させていただく。
中国の春節旧正月)は民族の大移動のような状態が起こるが、なぜあれほどまでに故郷へ帰らなければならないのか。長蛇の列を成し、ヘトヘトになって切符を買い求め、我も我もと遠い故郷へ大荷物抱えて大挙帰郷するのはなぜか。
筆者は南京大学の社会心理学の教授の講演を聞いて納得がいったそうで、
その話をもとにしてこんなことを書いている。


 「中国では『家庭』が唯一の社会関係といってもよく、家庭をかえりみずに自分だけで何かをやるというのは考え難いのだそうです。特に人口の7割を占める農民たちにとっては、生産から生活のすべてが家庭内にあり、“遊び”も“楽しみ”も家庭の内にあるので、家庭から離れる必要がないのです。そこから出て危険に身をさらす西欧型の“冒険”というのは、理解できないそうです。逆にいうと、家庭をかえりみない人は有名になり、“労働英雄”となれるのですが、それはつまり極少数派ということであり、個々の「家庭」をバラバラに分断した毛沢東人民公社が失敗したのも、当然といえば当然のことでしょう。日本ならば、いたるところ“労働英雄”だらけになるでしょうが。
 中国人はなぜあんなに“勉強”するのか、これは『科挙制度』の伝統が今に生きているからです。例えば、小学校の時間割というのはほぼ全国共通ですが、賀家湾小学校の授業が始まるのは、だいたい朝7時頃です。それから10時頃まで授業があって、その後は2時間くらいの休みがあり、それぞれ家に帰って食事をし、午後からまた授業。そして4時半頃には夕食のために家に帰り、なんと、それからまた夜の授業があるのです。だいたいが自習時間のようですが、帰ってくるのは7時、8時で、つまり、今の時期だと小学校への登下校には懐中電灯が必要ということになります。中学(中国は中高一貫)、大学はいうに及ばずです。なぜそんなに“勉強”するのか?
 古来中華帝国では、士農工商の民衆の上に官僚がのっかる政治体制をとってきたが、その「民」と「官」との接点に『科挙制度』というものがあり、下層の人間でも試験に合格さえすれば上層の人間になれるチャンスがあったのです。民にとってこの魅力は絶大で、自ずから人生で一番大事なことは“勉強”することになり、この魅力に勝る娯楽は発達しなかったのです。」


家族を大切にし家族を中心に考える、というのはぼくの接してきた中国の人たちもそうだった。
だから出稼ぎに出ても春節には何を置いても家族の元に帰ろうとする。
しかし、日本に来る技能研修生は、3年間は故郷に帰らない。
乳幼児を祖父母に託して来た父や母も帰らない。
3年間は1度も家に帰らないのだから、家族がバラバラになるような行為だが、
家族の幸せのため、子どものため、という目的があるから、彼らはやりぬく。
日本人ならとても耐えられないと思うが、彼らは海を越える。
13億人の国で、いかに豊かな生活を獲得するか、それが競争心をかきたてていることもある。
日本人も、明治以後、立身出世を目的に猛烈に勉強した。
ブラジル移民など海を越えた。
人間の置かれた位置が、生き方を変える。


希望を抱き、「坂の上の雲」をめざした明治の楽天家たちの苦節も、辺境の地で野麦峠を越えていった女工たちの哀史も、
時代の発展を支えた。
今は、後戻りできない進歩というレールを驀進する巨大な列車に人類が乗っている。
鉄路の果てに何があるか、
「奈落の淵」に向かう列車を転換させることができるかという大テーマに人は直面している。
ならば生き方はどうなる。