雪ちゃんから来た賀状

 雪ちゃんから、久しぶりにメールが入ったのは9日だった。中国武漢大学で教えたのは2002年から2003年。彼女は卒業してから北京で就職し、ぼくが2005年に北京の労働部研修所で教えていたとき再会した。その後彼女は結婚して子どもも生まれ、四川省の大学の先生になって日本語を教えていたが、夫との関係が破たんした。シングルマザーになった彼女は子どもを育てながら悩んでいるようだった。。
 その数年後、彼女は日本語の勉強で東京に来て、我が家にも遊びに来たことがあった。数日我が家にいて、一緒にあちこち安曇野をめぐり歩き、温泉の足湯に足を浸した時は、子どものようにはしゃいでいた。それから中国に帰って、彼女からの連絡が途絶えた。
 どうしているかなあと、ときどき思い出していたところへのメールだったから懐かしかった。元気でいることが、うれしかった。彼女は今、武漢にいるのだという。


 「お久しぶりです。お元気ですか。わたしは武漢に来て、もう半年です。残念な気持ちもいっぱいですが、やはり四川省の仕事をやめました。息子も一緒に武漢に来て今家の近くの小学校に通っています。
 これまでの生活は日本語や日本語を勉強する人たちを中心に動いていました。楽しかったというのも確かですが、なんとなく悔しい気持ちが時々湧き出てきます。中国は広いです。世界も広くて未知のものがいっぱいあります。広い中国にいながら、ごく狭い範囲のことで忙しくて日に追われて、そのまま力を尽くして一生を送るのは次第に耐えられなくなりました。わたし、まだ成長したいです。まだこの世をしみじみと経験してみたいです。もっと自由に。
 日本語を教える仕事は私にそういう空間も余裕も与えません。これからは一部の人だけを対象とする日本語ではなく、すべての人が必要するものを対象として勉強し、新に人生を出発するつもりです。仕事だけではなく、家族だけではなく、自分一人のことだけではなく、周りの人からもっと多くの人と縁を結んで、支えたり支えられたりしてもっとおもしろい生活を目指すように、がんばっていきたいです。そう思って、今創業を始めているところです。
 去年の秋、一度武漢大学に行ったことがあります。そんなに変わっていません。先生と奥様が以前住んでいたゲストハウスは改装になるようです。懐かしいですね。時はたちました。でも、記憶と記憶の中の人はずっと止まっています。それが人生のおもしろい所と美しいところではないかと考えます。
 先生と奥様はいつも暖かくてやさしいです。そのやさしさが、いつの間にか種がまかれたように冷たい私を柔らかくしたり、力をくれたりしています。日本語を勉強して日本人と日本文化に触れるチャンスを得て、とてもよかったです。この先はどうなっていくか分からないですが、日本語と、私の知っている日本についてのすべてが、永遠の力になっていつまでも私を支えていくでしょう。そう信じています。
 先生と奥様、長生きしてくださいね。またいつか日本に行って会いたいです。」

 文章の中の「ゲストハウス」のところを読んだ時、住居の部屋の窓からよく眺めた冬の大学の森が眼に浮かんだ。右手に東湖の水平線が見える。たまに人が通るだけで、静寂が森を包んでいた。部屋へは学生たちがよく遊びに来た。雪ちゃんもその一人で、大好きな音楽への憧れを語った。
 雪ちゃんは、新たなチャレンジを始めている。人生は常に新たな芽吹きを生んでくれるものだ。「創業を始めているところです」とあるが、彼女は何をやろうとしているんだろう。
 たくましく生きている雪ちゃんの成功を祈っている。