芥川賞受賞、楊逸「時の滲む朝」を読む(2)

集会、デモ、座り込み、ハンスト、二人は甘先生をリーダーに連日運動にはまり込んでいった。
やがて二人は北京・天安門のデモに参加する。
天安門広場は全国から集まってきた学生で埋め尽くされ、自由に憧れる学生たちの思いを象徴して人民英雄記念碑の傍らに自由の女神が立てられた。

高揚した二日間が過ぎ、秦漢大学の学生たちは大学に戻っていった。
夜行列車で帰ってきた翌朝、
学生たちは疲労と眠気のなかで夜明けの大地を見た。
彼らの心象風景。


<描写5>
 「朝日が車窓と同じ高さで、遥か遠い東の地平線から眩しい光を放ち、果てしない黄色い大地に弧線状に波を描きつつ、列車を包み込む。並べられたおもちゃのような村落が、一つまた一つと視野から後ろに去っていく。みんなは寝ぼけた目の上に手をかざして眩しさを避けて、朝日に言葉を失い、この大地に生きる生物としての宿命を覚える。」


大学に戻って再び市政府への闘争を開始したその後、甘先生から学生たちへ報告があった。
弾圧が始まった。
「『装甲部隊が天安門広場に突入した』喉の奥に怪獣がいるような声だった。小さく重く低く、爆弾よりも強い衝撃だった。みんなは一遍に目が覚め、むくりと起き上がり甘先生の傍に集まった。」


<描写6>
 「かすかに啜り泣きの声が上がり、すぐに部屋中に広まった。浩遠の頭の中は真っ白、それはさっきまでの寝ぼけた白とは違うものだった、状況をつかめないまま、頬にやたらと熱い液体が流れて、唇から舌へと滲む、塩の味が乾き切った舌をひりひりさせて、喉に波及していく。重たい瞼を上げ甘先生の顔を見ようとすると、目に覆われていたものが雪解け水のように顔の隅々まで崩れ流れる。甘先生の顔が涙に反射し変形して流れて、段々と溶かされて見えなくなっていく。」


挫折感の中で、浩遠と志強は飲み屋で学生運動を侮辱した男と乱闘騒ぎを起こして逮捕され、大学から退学処分を受けてしまった。
3ヵ月後、拘置所を出た仲間が会う。


<描写7>
 「互いのやつれた顔を見あって、誰も言葉を発しようとしない。沈黙を保ち、重い足音に伴われ、知らず知らずに秦漢大学に向った。空が漏れなく厚い雲に覆われて、雲に押さえられた気流はあらん限りの冷たさを尽くして、無情に膝の関節に喰らいつき、足が更に重くなる。」


二人はその後、一転して農民工の中に入っての日雇い生活になった。
そして甘先生はアメリカへ、浩遠は日本人の中国残留孤児の娘、梅と結婚して、やがて日本へ、
志強は中国で働く、それぞれの道の中で、祖国と個の変貌が描かれていく。
浩遠が日本に渡る前、志強に会ったとき、一つの歌を志強に聞かせた。
それは尾崎豊の歌。
「I love you.」
梅が浩遠に贈り、二人を結びつけたCD。
8年後、デザイナーになった志強が日本にやってくる。そこでもこの曲が登場した。
志強はカラオケ店で、「I love you.」を歌う。
彼は尾崎豊の写真を手帳の中にはさんでいた。
「この顔からは狼を感じるんだ。俺の孤独、この胸に仕舞った、この拝金社会に生きる人間には理解の出来ない狼の孤独を、がっちり守ってくれてるような気がするんだ。」


中国へ帰っていく甘先生との再会が実現したときも、このCDが浩遠の先生へのプレゼントになった。
浩遠は日本でも中国の民主化運動を続け、子どもも生まれていた。
結末に向けて、ストーリーは展開し、日本と中国への希望を滲ませた時の流れを感じさせて小説は終わる。
子ども、
未来に生きる子どもたち、
それが最後の希望への象徴となっている。


以上の<描写>の文には、作者の思いが集中して込められている。
この小説は、もっと掘り下げて書いてほしいと思うところもあし、
表現としての評価はいろいろあろうが、それよりもそこから読む者が何を汲み取るか、
それが大切だと思う。
選考委員の一人、池澤夏樹がこう書いている。
「ここには書きたいという意欲がある。文学は自分のメッセージを発信したいという意欲と文体や構成の技巧が出会うところに成立する。
書きたいことは中国と日本、中国語と日本語の境界を作者が越えたところから生まれたものだ。
この20年ほどの中国の庶民史を日本語で語ることに魅力があって、この人の書くものをもっと読みたいと思わせる。」