芥川賞受賞、楊逸「時の滲む朝」を読む(1)

中国人、楊逸の「時の滲む朝」が芥川賞を受賞したことで、
いくつか興味関心の湧いてくるものがあった。
1987年に中国から来日して20年、作者の人生はどんな人生であり、それはどのように小説に結晶しているのだろうか。
20年の歳月で覚えた、母語ではない日本語で芥川賞を受賞した。いったいどんな文体や表現だろうか。
雑誌「文芸春秋」9月号に、作品の全文と楊逸へのインタビューが載っている。
文化大革命から改革開放、民主化闘争と天安門事件、そして急激な経済発展、
激動中国を生きてきた彼女の人生をのぞいてみると、次のようである。


1964年、黒龍江省のハルピンで楊逸は生まれる。父は大学で文学を教えていた。
1969年、文化大革命が始まり、高校生の姉が下放される。   
1970年、楊逸5歳のとき、一家は北の僻地に下放される。電気・ガスもない、冬は零下30度になる所で農業に従事。
1973年、ハルピンに帰ることを許される。住むところなく、高校の教室に住む。
1978年、中国、改革開放政策を開始。日本にいる伯父と連絡が取れる。楊逸、ハルピンの大学に進学。
1987年、4年生のとき、日本への留学を志し、22歳で渡日。持ち金は3万円。
 新宿の日本語学校に入る。昼間は学校、夜は午後5時から朝の8時まで、15時間働く。
1989年、天安門事件が起こる。民主化運動のニュースを見て、居ても立っても居られず、北京に行き、運動に参加している若者たちに差し入れをしたりするが、やがて軍隊によって運動は鎮圧される。
 日本に戻り、お茶の水大学に入学。本格的に日本の本を読む。
 在日中国人向けの新聞に、中国語で詩やエッセイを投稿し、大学卒業後中国語の新聞社に入社。
2005年、日本語で小説を書き始める。
2007年、最初の小説「ワンちゃん」が文学界新人賞受賞。
2008年、芥川賞受賞。


「時の滲む朝」の執筆には3ヵ月をかけたということだが、そんなにも短期間に書き上げるとは、驚きである。
要所要所に作者が思いを込め表現を工夫した描写がある。その部分は一文が比較的長い。
執筆している時、母語と日本語の関係はどうだったのだろう。


小説は、1988年、大学統一試験を受ける男子高校生、梁浩遠と謝志強の描写から始まる。
親友であった二人は、同じ大学に挑戦していた。
「同じ大学にはいろうね。卒業したら、帰ってきて、この高校の先生になって、僕たちで農村の子どもを国のエリートに育てよう」
それが二人の夢だった。
浩遠の父は、1957年、大学を卒業する直前に黄土高原の村に下放されている。
待ちに待った結果、二人は合格し秦漢大学の学生となった。
その後の人生を変えていくきっかけとなる甘先生との出会いは大学の講義だった。



<描写1>
 「甘先生の声が流れる空気のリズムで震えながら、大講堂の隅々に伝わり、またそのリズムを壊さぬよう、誰もが気遣って、呼吸を殺し、その声を一心に聞き取ろうとしている。」
 「恋愛はおろか、片思いすらしたことのない浩遠は、甘先生の声を頼りに、ひんやりとした秋の清愁、そして切ない海への思いと一緒に、憂いが胸の奥から込み上げ、目頭もじんわりと湿っぽくなった。」


冬が来る。作者の、酷寒の記憶が描写に表れている。


<描写2>
 「冬の夜は実に長い、朝五時になってもまだ真っ暗で、寒空の薄い月の影に、星たちが気だるそうに散らばっている。石畳の道も薄い霜に白っぽく染められ、葉の落ちた樹の枝も樹氷の衣を着せられ、暗さの中にきらりと光る。浩遠と志強は宿舎を出るなり、寒風に襲われ、一晩中体に溜めた布団の温もりがいとも簡単に抜けて、瞬く間に眠気も吹っ飛んだ。」


学生寮で、革命歌しか聴いたことのない二人は、テレサ・テンの歌を聴いた。
「どれだけ愛しているかって、どれだけ愛しているかって‥‥」。


<描写3>
 「浩遠の口の中に急に唾が大量に分泌された。至近距離のスピーカーにべったりくっついているぼさぼさ頭の志強を気にして、唾を飲む間をうかがった。
 ゴックン。歌にのめり込む志強から唾を飲み込むような音を感じ、浩遠も我慢の限界に達し、流れる甘く切ない歌声と一緒に、口の中の全てを思い切り飲み込んだ。唾は甘泉の如し、喉から全身に巡り、骨にまで沁み込んで、体中にちくちくしていた青々しいがさつな棘のような何かを撫で下ろし、無骨な青年は瞬く間に食事を堪能して一服しようとする子猫にでもなったかのように、目がとろりとした。」



二人は、「腐敗した資本主義の情調に危うく腐食されるところだった」と思う。だが、切ない歌声は心に食い込み、不安をさそうものを感じた。そこへ民主化の運動の情報が耳に入りだす。
授業で、甘先生が言った言葉が話題になった。
「授業の時に甘先生もチラッと触れたけど、中国も民主主義が必要で、監督する野党がなければ、官僚の腐敗は何時までも根絶できないって。」
二人の人生に影響を与えるきざし。ここから天安門事件へとストーリィは展開していく。
市政府前で集会が行なわれる、そこに参加しよう。


<描写4>
 「『五・四運動以来、中国の革命にはいつも我々大学生と知識人が先駆けとなっている。国を救うのは我々しかいない! その昔魯迅は医学をやめ、文学を選び、筆をもって武器となした。我々も書生の身で国に何を出来るのか、我が人民に何が出来るのかを、今こそ考えるべきではないか‥‥』
 かなり離れた前方に、三輪の手押し車の上に立ち、手持ちのマイクに向って意気軒昂に演説する甘先生の姿がぼやけて見えた。」
 「『反貪汚、反腐敗!』
 スローガンとともに頭上に数知れない腕が上がった。浩遠も力いっぱいに腕を振りあげると、不思議と体の奥から熱く沸き上がるものを覚え、この情景が甘先生の授業で読んだ五・四運動時代の文学作品の中の場面と重なって見えた。自分もいつか教科書に載るような歴史の中にいることに感激しながら、さらに前へ前へと進んだ。」