返送されてきた手紙



ベトナム旅行中の高さんからベトナムの写真を載せた年賀状が届いたのは1月半ばだった。
高さんは上海市の会社に勤めていたから、そちらの住所に返書を送った。
信州の絵を同封しようと思って、懐かしい日本の田舎の原風景を描いた原田泰治の絵葉書を入れた。
ひょっとして会社を辞めていたら、この手紙は届かない、そうすると、手紙は処分されてしまうだろうな、と思ったが、ま、送ってみるかと90円切手をはって郵便局のポストに入れた。
高さんは武漢大学で教えた、日本のマンガ大好き学生だった。
旅行も好きで、中国国内だけでなく、東南アジアへも出かけている。一度日本にも来た。
彼女の実家は杭州にあり、訪れて歓待を受けたこともある。手紙を出すとき実家のほうに送ったほうが確かだと思ったのだが、あまり考えずに会社に勤務していたときの住所に送ってしまった。


2月のある日、家のポストに見覚えのある封筒が入っていた。
あれ、高さんに送った手紙だ。
かえってきたか。
封筒をしげしげ見ると、長旅でだいぶくたびれている。
シールが貼ってあり、「退回 RETURN」のところの「既に転居した」という意味の中国語にチェックが入っている。
スタンプは上海のものだった。
封書の裏を見ると、
「転送先不明との理由で返送されてきました。 成田国際空港支店」
と書かれた赤スタンプが押されていた。


長野から成田、
そこから空を飛んで、
人間とビルのるつぼの上海まで行って、
世紀大道の上海信息大楼のビルの部屋まで、郵便配達夫は封書を持って行ってくれた。
けれども宛名の人はいなかった。
封書は再び、上海から空を飛んで海を越え、成田に着陸、
そして車に揺られて、長野県安曇野市の郵便局へ、
はるばると帰ってきた。
長い旅だったなあ。


中国で処分されなかった。
ひらひらと紙切れになって途中で消えてしまわなかった。
ちゃんと送り返してきてくれた、
小さな一つの粗末な封書。
それでも差出人にもどってきた。
尊重されて返ってきた証。
郵送の事業にたずさわる人々の信頼の証。
なんだかしみじみ感動した。


高さん、やはり実家に出せばよかった。
住所の記録はどこにあるかな。