キスゲに寄す



 

 

 16年前、安曇野に引っ越しをしてきた年、夏に技能研修性を連れて、霧ヶ峰に登ったことがある。

 そのころ、元総評議長の槙枝元文さんが立ち上げた、「日中技能者交流センター」の日本語教員を勤めていた私は、愛知県の西尾市にあった研修所で、中国からやってきた研修生の合宿指導にたずさわり、昼も夜も中国の青年たちと暮らしを共にした。朝のラジオ体操が終わると、田園地帯を一緒に散歩する。昼間は勉強を教え、夜は彼らの自習に付き合う。

 一か月の研修が終わると、彼らは各地の企業に飛んだ。そのなかに信州諏訪に入った若者たちがいた。私は彼らと連絡を取り、霧ヶ峰に登ることにした。

 7人の若い女性たちが、行動を共にした。ちょうど山の上では、ニッコウキスゲが花開いていた。私は、愛犬のランを連れて行った。彼女たちは大喜びでランのリードを持ち、ニッコウキスゲの花園を歩きながら感激の声を上げていた。

 霧ヶ峰には、手塚宗求さんの小さな山小屋「ヒュッテ コロボックル」があり、私たちの遠足はそこを目的地にした。霧ヶ峰に生きる手塚さんは、実に味わい深い随想を書いていて、私はひたひたと胸に沁みるその文章に何度も涙したことがある。

 ある夏、シンガーソングライターのさとう宗幸が、「ヒュッテ コロボックル」でコンサートを開いた。小さな小さな山小屋、三十人ぐらいがやっと腰を下ろせるように工夫した。

 その歌の中に、手塚宗求作詞、さとう宗幸作曲の、「キスゲに寄す」があった。

 

  キスゲの花が 咲けば夏だと

  いつも私は 手紙を書いた

  咲きいそぐ 一夜花

  過ぎてゆく つかのまの夏

 

  キスゲの花が 散れば秋だと

  いつも私は 手紙を書いた

  散り急ぐ 花たちを

  抱きしめて 押しとどめたい

 

  キスゲの花が 青い空から

  舞い降りてきた 星の灯

  霧ヶ峰 白い雲

  はてもなく 金色の花

 

 草原の尾根道を歩いて、私は研修生と一緒にヒュッテを訪れた。

 手塚さんの息子さんらしき人に声を掛けると、宗求さんは亡くなられたということだった。山小屋のオリジナルコーヒーを飲みながら、しばらく手塚氏を偲んだ。

「私は手塚さんの本、ほとんど全部読みましたよ。」

「ありがとうございます」

息子さんらしき人が応えた。