二つの「ものさし」


かつて村山孚がこんなことを書いていた。
「わたしは中国についてのカルチュア・ショックを三回にわたって体験する機会をもった。第一回は、日本敗戦直後の中国においてである。それまで、学生、そして『満州国』職員として七年にわたり中国で暮していたのだが、日本の敗戦によってはじめて、それまで見えなかった中国の姿が見えてきた。権力という後光を失ったとき、見えてきた中国にわたしは遅まきながらカルチュア・ショックを感じた。第二回は、新中国が誕生して15年目、1964年。“文化人代表団”に加わって、中国各地を訪問した。文化大革命が始まる二年前である。ホテルのキーは不要であり、民族の自負心が国と人をこんなにも変えるものかと思った。第三回目は、毛沢東の死後一年半あまりたち、文革の後遺症を清算し始めた1978年から80年代末まで北京暮らしをして、多くのカルチュア・ショックを感じた。そのひとつが、ものさしのちがいである。」(「中国人のものさし 日本人のものさし」草思社
 そこで、感情の「ものさし」について、「なんで、何にたいして中国人は腹を立てるか」について書いている。まず「不条理への怒り」、次に「不平等への怒り」、そして「侮辱への怒り」、さらに「面子をつぶされたことへの怒り」。
村山は体験したこと、具体的にあったことを元に説明している。
「侮辱は個人にたいすることから国家、民族にたいするものまで含まれる。日本人だって侮辱されれば怒るが、とても中国人の比ではない。とくに国のことを悪く言われたとき、日本人はそれほど怒らない。‥‥
 最大の侮辱は、面子をつぶすことである。」
そこで村山は、面子という考え方は古い歴史を持っていると、『史記』に出てくる郭解という侠客の話を紹介している。郭解は、もめごとの仲裁をして当事者の仲をまとめたが、それが先に仲裁をした地元の人の面子をつぶすことにならないように、自分の名を伏せてその人の顔を立てるようにしたという話。
 
さてさて、「ものさし」の違い、それをよくよく知らず考えずに、自分の「ものさし」だけで動いているとことはややこしくなるばかりだ。
 ぼくの持っている腕時計は、7年前に青島で買った。中国労働部の研修所で教えていたとき、日本のスーパー、ジャスコが海岸通りにあり、そこへ何度か行って買ったものだ。ハーモニカを手に入れたのもそこだった。今、その店は破壊され惨憺たる姿になっている。ここまでするか、と暗澹たる思いだ。
 「チベット探検」をしてきたSさんは、先日車の中で、チベット民族がたどってきた道を、国家主義植民地主義の被害者として嘆いた。チベットにはチベットの「ものさし」がある。中国政府には政府の「ものさし」がある。
 領土問題、「ものさし」の違いを超えて解決するために、その奥に横たわっている事実を掘り起こし、当時者同士で究明しあうことだと思う。当事国の学者、研究者、そこにかかわってきた民が、もっと前面に出てきて、とらわれずに協議すべきだと思う。
 面子をつぶされたと感情を爆発させ、領土を奪われたと怒り、両者のナショナリズムをぶつけるやり方は戦争に続く道だ。