「王さん、野菜をとりにおいで」

「董さんと二人で、野菜をとりにおいで」
お昼ご飯が終わって、王さんに電話した。
「董さん、今いない。どこか出かけた」
王さんの中国なまりの日本語が応える。それじゃ、董さんが帰ってきたら、おいでと電話を切ったら、なかなかやって来ず、二人が自転車で現れたのは夕方5時近かった。
「ごめんなさい。おそくなって」
二人は申し訳なさそうに言う。例によって、気をつかった彼女たちは、卵1ケースを店で買って手土産にもってきた。
「気をつかっては、だめ」
と家内とぼくは言う。
「スーパーへ 行ってきたの」
王さんは、今日は魚を100円で買ってきた。董さんは図書館へ行ってきたという。
「じゃあ、どれでも野菜を収穫してもって帰って。シシトウ、ピーマン、モロッコインゲン、モロヘイヤ、トマト、コマツナ、いろいろ持って帰りましょ」
「全部ほしい」
王さんの顔がほころび、うれしい、うれしい。
「王さんが、この前食べたいと言っていた香菜(シャンツァイ)は、まだこんなに小さいから、大きくなってからね」
ミニトマトの畝の端に、こぼれ種から芽を出した香菜の小さなのがいっぱいある。
シャンツァイはコリアンダー、中国でよく料理に使ってきたんだ。

王さんと董さんは会社の寮に住んでいる。半月ほど前、枝豆、ゴーヤ、カボチャなどをもって、我が家から自転車で五分とかからない彼女たちの寮に届けたとき、二人は自分たちの部屋の中に案内してくれた。
「ひやー、すごい。居間に、寝室に、ダイニング、なんとなんと」
住居の広さに驚いた。二人それぞれが2DKの住まいに一人ずつ暮らしていて、隣同士になっている。
二人は中国に進出している日本企業に採用されてしばらく中国工場で働き、その後日本の本社工場勤務になってやってきた。昼勤、夜勤交代で働くが、土日は休日になり条件はすこぶるよい。すでに2年間が過ぎ、期限の3年目まで後1年を残している。王さんは31歳、夫と幼い子どもを家において、日本に来た。来たときは、日本語はまったく分からなかった。そこから日本語の勉強が始まった。董さんは、まだ若く、22歳。彼女は中国で半年ほど日本語を学んで来た。
 昨年春、かねてから思い描いていた地元の公民館での日本語教室を、教育委員会社会教育課の管轄で開くことになったとき、ぼくは4人のボランティア教師の一人になった。指導者はみんないい年の人ばかりだ。王さんと董さんに出会ったのは、そのときだった。二人はよく勉強した。
日本語教室の生徒は、農業実習で来ている中国人の若者4人、フィリピンから花嫁で来た2人、そして王さんたち、その後、中国人の若妻やベトナム人の実習生たちが加わっている。教師は一人増えた。中国人の実習生と王さんたちは、日本語能力検定試験2級の資格にチャレンジしたいと目標を決め、昨年からその勉強に集中し受験した。そして王さんと董さんは、見事に2級合格したのだった。意気軒昂の二人は、さらに1級を日本にいる間に合格したいとチャレンジを決めて取り組み始めている。
 いつだったか、王さんがこんなことを言った。
「中国に帰ったら、お店を持ちたいです。日本の発酵食品の店を開きたいです」
 そこで日本の発酵食品の勉強もしたいと言う。
「それじゃあ、味噌づくりの講習もしようか」
指導者のひとり、高橋さんが言った。高橋さんの、90歳になるおばあちゃんはその道の名人らしい。中国でも健康志向が強く、発酵食品に目をつけた王さんの考えはなかなかのものだ。
 農業実習生の二人が3年間の期限を迎え、ふるさとに帰っていったのはこの夏の初めだった。朝早く出発すると聞いていたので、7時過ぎに見送りに行った。硬く握手を交わして、
「幸せにな、元気にな」
二人は涙ぐんでいた。ワゴン車は、神社の森の陰に消えていった。名古屋空港まで送ってくれるのだ。

庭の畑は暗くなった。モロッコインゲンは、家の西側のグリーンカーテンにしてある。つるを伸ばして屋根に届くほどだ。脚立に上って取っていると、王さんも同じ脚立に上ってきて腕を伸ばしながら、キャーキャー叫んで取っている。
「落ちるぞ、落ちるぞ」
6時前、自転車にモロヘイヤの葉っぱのついた枝の束をくくりつけ、二人は帰っていった。
「道、分かるね」
「分からない、一緒についてきて教えて」
またまた冗談。