安野光雅 中国、悠久の大地を行く

安野光雅 絵本三国志  中国、悠久の大地を行く」展を観て来た。
安野光雅氏は2004年から4年間、中国各地、約1万キロを旅して取材して描いた作品96点。
ガンを告知され、治療を続けながらの旅だった。
よくまあ、これだけ細密に中国の歴史をひも解きながら、現地スケッチをもとに描けたものだとため息が出た。
描かれている民衆の暮らしぶり、戦う兵士、わずか1センチほどの小さな人物にも表情やしぐさがあり、1800年前の大気をともなって観る者に伝えてくるものがある。
広場に群れている庶民を描いた風景画は、
露店で農具を売っている人、鹿を逆さにぶら下げて売っている人、
天秤棒を担いでいく人、牛を引いていく人、
絵に顔を近づけて見ていると、絵の世界に引き込まれ、空想に翼が生える。
この画風、特に遠景の人物の描き方は、江戸時代の安藤広重に似ている。
筆で描く人物の輪郭線は、髪の毛よりももっと細い。どんな筆を使っているのだろう。
中国の絹本を使い、世界で始めて紙を作ったといわれる蔡倫の紙を再現し、それらに黄河の土、長江の土、敦煌の砂などを絵の具にして描いた絵もある。
絵の下に、安野光雅の説明文が付いている。それを読んでいくのも興味津々、楽しかった。
白帝城五丈原などの絵は、特になつかしかった。
学生時代によく朗誦した、土井晩翠の「星落秋風五丈原」を思い出す。
三顧の礼のいわれとなった、孔明の草庵を訪れた劉備をパノラマの点景にした絵にも、
感情移入いちじるしく、三国志の風が吹く。
蜀の劉備とその人生を共にすることになった諸葛孔明は、五丈原で病死した。


展覧会は松本の井上百貨店ギャラリーで開かれている。
展覧会場入り口に、四川省地震の救援募金の箱が置かれていた。
わずかであろうともぼくも協力しようと思う。
安野さんは、四川省三国志舞台へもスケッチ旅行している。


新聞への投書と、NHKラジオへの投書と、共通した二つの投書があった。
日中戦争終結時、日本人のたくさんの子どもを中国人が引き取って我が子として育ててくれた。
それが残留孤児だった。
今、たくさんの地震災害の孤児が生まれている。
その子らを引き取り、あるいは預かって、里親として育てていけないものか、というものだった。
新聞に投書している人は、日本の東北地方の農民、77歳だった。


「今度は日本人が震災孤児を養育してはどうでしょう。言葉や環境など様々な問題があると思います。しかし、東北地方には中国からやってきた花嫁も少なくありません。この人たちの協力を得ることもできるはずです。
私が率先して里親になりたいのですが、残念ながら成人まで育てられない高齢者となってしまいました。日本で育った孤児たちが社会に出て、日中の架け橋となってもらえたら素晴らしい、と思っています。」
投書はそう結んでいる。思い切った提案だがぼくにも共感するものがある。
安野さんの絵を見て、投書を読んで、ただただ悲しみに打ちひしがれた人々の平安を祈るばかりだ。