村上春樹の訴え

昔の井戸のポンプ



7年前、中国・青島の街で、大型書店に入ったら、入り口近くのメインのところに、村上春樹の本が大量に平積みされていた。村上春樹がこんなにも読まれているのかと、あらためて驚いたものだった。あの時も季節は9月で、日本の過去の侵略に関係する本もいろいろ置かれていた。
日中間の領土問題が、文化交流にも影響を及ぼし、中国の書店から日本人作家の本が撤去されているという報道があったが、今日、そのことに関連した村上春樹による朝日新聞への寄稿を読んだ。
尖閣諸島を巡る紛争が過熱化する中、中国の多くの書店から日本人の著者の書籍が姿を消したという報道に接して、一人の日本人著者としてもちろん少なからぬショックを感じている。」
と寄稿は書き出している。この二十年余りの東アジアにおける最も喜ばしいことの一つは、そこに固有の文化圏が形成されてきたことで、ここに来るまでの道のりは長かった、と述懐し、音楽、文学、映画、TV番組などが自由に、等価で交換され、多くの人に楽しまれるようになってきたことを村上は率直に喜んでいた。それが今、領土問題で、破壊されようとしている。村上は訴える。
「国境線というものが存在する以上、残念ながら領土問題は避けて通れないイシューである。しかしそれは実務的に解決可能な案件であるはずだし、また実務的に解決可能な案件でなくてならないと考えている。領土問題が実務課題であることを超えて、『国民感情』の領域に踏み込んでくると、それは往々にして出口のない、危険な状況を出現させることになる。それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかしにぎやかに騒いだ後、夜が明けてみれば、後に残るのはいやな頭痛だけだ。
そのような安酒を気前よくふるまい、騒ぎをあおるタイプの政治家や論客に対して、われわれは注意深くならなくてはならない。ヒトラーが政権の基盤を固めたのも、第一次大戦によって失われた領土の回復を一貫してその政策の根幹に置いたからだった。それがどのような結果をもたらしたか、われわれは知っている。今回の尖閣諸島問題においても、状況がこのような深刻な段階まで推し進められた原因は、両方の側で後日冷静に検証されなくてはならないだろう。政治家や論客は威勢のよい言葉を並べて人々をあおるだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ。」
そして、村上は叫んでいる。
「魂が行き来する道筋をふさいでしまってはならない。その道筋を作るために、多くの人が長い歳月をかけ、血のにじむような努力を重ねてきたのだ。それはこれからも、何があろうとも維持しつづけなければならない。」
中国には、「井戸を掘った人を忘れない」という言葉がある。井戸を掘った人の中には、田中角栄や、高崎達之助や、政財界にいろんな人たちがいる。だがそれだけではない。実に数え切れない人たちが、日中の間に井戸を掘り、水を汲みあうようになってきたのだった。
村上春樹の寄稿には、井戸を掘ってきた文化人の側からの、やむにやまれぬ無念と憂いがこめられている。魂の通い道をつくることのできない政治家は去らねばならない。