15年ぶりの再会



 高さんが遊びにやってきた。15年ぶりの再会だった。中国・武漢大学の三回生だった時に教えた学生の高さんは、社会人になっていくつか大きな日系企業で働いてきたが、その仕事になじめず、自分を発揮できなかった。そこで、経営学を学ぼうと昨年一橋大学修士課程に入った。
 この春休みに初めて信州の土を踏み、我が家を訪れてみようと彼女はやってきた。
 「雪の山、きれいですね。いいところですね。」
 「今日はいい天気だから、北アルプスの山々がよく見えますよ。」
 彼女は、独身の自由さから、暇を見つけては日本と世界を旅行してきた。学生の時も、ひとりでぶらぶら各地を旅していた。
 「日本語科の同期生のなかで、独身なのは私一人かな。」
と言う。
 「架け橋をつくる日本語 武漢大学の学生たち」のなかに、ぼくは高さんのことを少し書いた。
 「ありがとう 私の漫画先生」というタイトルの作文を当時彼女は書いていた。
 「漫画との出会いは、中学一年生の時だった。一冊の薄い本だけど、私の日本についての興味が呼び起された。漫画は多くの人たちにとっては、時間つぶしでしかないかもしれないが、私にとってはいい先生だ。私にいろんな知識を教え、手伝いをしてくれた。」
 彼女は、日本の漫画は一コマ一コマがネックレスのようにつながり、物語の性格をもっていると言って漫画を楽しむ。
 「中国の漫画だったら、主人公は必ず初めから最後まで一人の英雄である。どんな困難があっても、一人で解決していく。アメリカのもそうだった。でも日本のは違う。初め主人公は確かに一人に違いない。だが最後のところ、または重要なところでは、かならず全員動員という結果になって、本当の主人公は誰か、本当の英雄は誰か、分からなくなってしまう。みんな英雄だ。この特徴はスポーツや戦闘をテーマにした漫画ではいちばんはっきりしているが、恋愛に関する漫画もそうだった。女の主人公が最後に男の主人公と一緒になれるのは、かならず彼らの友だちのおかげだったから。」
 そして彼女は日本人の集団主義の特徴を考察していた。ユニークな彼女の論は、日本人と中国人の集団における生き方を考えるきっかけとなった。

 高さんは、二日前に草津温泉にやってきて、温泉につかり、スキーも初体験してきたと言った。ぼくは武漢大学の日本語科で教えた写真のアルバムを出してきて、彼女の同期生たちの写真を示しながら、
 「この人はなんという名前だったけ。」
とか訊ねる。記憶の底を探っても名前が失われた人と明晰に覚えている人とがいる。高さんは、彼ら彼女たちが今どうなっているか、自分のスマホを操って、
 「これが今の彼です。」
とか言いながら、15年後の写真を見せてくれた。そして、会話の間にも指は動き、
 「私は今、吉田先生の家に来ています。」
とか、知らせたらしい。たちまち何人かの人とつながり、返事がやってきて、ぼくに、高さんが伝えてくれる。
 「シェンリーが、よろしくと言っていますよ。」
 「うらやましい、とリュウさんが言っていますよ。」
 夕食の前、高さんを歓迎して一曲アコーデオンを弾いた。すると高さんはスマホでぼくの写真を撮って、またも同期生に送った。そしたらまた返事がやってくる。シェンリーはその写真を自分のブログに貼り付けて公開している。
 よく笑い、よく食べ、たっぷりおしゃべりを楽しみ、ぐっすりと眠って、今日高さんは、
 「みんなを連れて、また来ます。来年までに論文を書かなければならないので、忙しいです。」
と言って帰っていった。