今朝、「特派員メモ」という一つの小さなコラムの記事が心にとまった。コラムの最後に吉岡桂子と名前が付されている。
それを一部要約して、ここに書く。
「大連市は、中国では珍しい、路面電車の街だ。日本統治時代の20世紀初めごろからゴトゴト走っている。宿のそばに修理場を見つけた。渋い緑に黄色のラインの車両がずらりと並ぶ。鉄道好きの血が騒ぐ。
『入るな』
守衛の声がする。
『写真を撮ってもいい?』
中国語で頼んだものの、すぐに日本人と見抜かれた。
『大連に家族がいたのかい?』
『いえ、でも、母は遼寧省生まれ。』
『何歳?』
『79歳』
『元気?』
『はい』
『そりゃ良かった。もともと鉄道を造ったのは日本人だよ。そこの赤い建物も。』
渋る同僚を説得し、中に入れてくれた。慣れた口ぶりと笑顔から、日本人と幾度も似た会話をし、喜ぶ顔を見て、うれしく思ってくれていたことが伝わってくる、いろんな歴史を呑み込んで。
翌日、その次の日も、関西空港で買ったお菓子グミをお礼に携えて出かけた。非番なのか、おじさんはいなかった。
大連を発つ朝に気づいた。戦中に中国にいた人が、この街を繰り返し訪ねたくなるのは、郷愁だけじゃない。新しい出会いが積み重なっていくからなんだな。
おじさん、また行くよ。今度は車両の前で、一緒に写真を撮ろう。」(朝日新聞)