研修生Kさんからの手紙


  麦秋


Kさんから手紙が来た。
Kさんは中国の農村で、夫婦二人土を耕して生姜をつくり、旦那がそれを売りに行く生活を送ってきた。
将来子どもが生まれ、育てていくことを考えれば、今のうちに蓄えをつくっておかねばと、
結婚して間もないにもかかわらず、
彼女は1年間家族と離れて、資金稼ぎに日本に行くことを決断した。
家族のために、一時期家族とはなれて、将来に備えようと。


中国で2ヵ月、日本で1ヵ月、合計3ヵ月日本語を勉強し、
いまクリーニングの会社に入って研修している。
この春、日本語を教える活動に参加していたぼくは1ヵ月間、
Kさんを教えた。


Kさんたちの期生が日本語研修を修了したのは、今年の3月。
桜の花が咲き始めたころだった。
30人の研修生は最後の閉講式で、森山直太朗の「さくら」を全員で歌った。
そして一人ひとりが自分の日本語で、短いながらも、決意や希望や感想など「出発の言葉」を発表していった。
Kさんは、夫婦で生姜をつくっていること、夫がそれを売りに行っていることを、
ためらいのかけらもなく胸を張って発表した。
学びの生活は、これほどまでに心を満たし、希望をふくらませるものかと思えるほど、
彼女の学びの生活は深かった。


手紙の日本語は、間違いがいくつもあったが、それでも大学で学ぶ恵まれた学生にひけはとらない。


「時間が早くなりました。
いつも先生に会いたいです。先生の講義がとても好きです。
感謝の言葉はたくさんあります。
でも日本語が下手ですから話せません。
日本に来る前、日本についてすこし知っていました。
今日本に3ヵ月とちょっといます。
私は日本がとても好きです。
日本の空気はとても新鮮です。道路はしっかりです。
日本人は礼節がたくさんあります。
私は日本に1年しかいません。
残念です。
ですから毎日とても大切です。それに毎日楽しいです。
いい思い出になります。
この間、テレビから「さくら」が聞こえました。
とても先生に会いたいです。
私たちは先生にこの歌を教えてもらいました。
お坊さんの話(唐招提寺の鑑真和上渡来の話)も忘れられません。
私の仕事は、クリーニングです。
全部で23人ぐらいいます。
みんなとても親切です。
問題があるとみんなに聞きます。
いつも詳しく知らせてくれます。
今、ズボンとセーターをすることができます。
ときどきだめです。
ですから毎日とてもまじめです。
仕事はとても暑いです。
たくさん汗が出ます。
それで毎日たくさん水を飲みます。
今はクーラーがあります。とても涼しいです。
毎日たくさんご飯を食べてから、すこし太りました。
それにもっと元気になりました。
生活と仕事に慣れました。
毎日晩御飯を食べてから、日本語を勉強しています。
今第38課を勉強します。
問題があったら会社の人に聞いています。
私は日本語が大好きです。
1年中日本語の勉強をやめられません。
中国へ帰ってから日本語の勉強を続けます。
1ヵ月前、スーパーへ行くとき、泥棒に新しい教科書をとられました。
それから中国の会社から航空便で新しい教科書が届きました。
今日本にたくさん外国人がいますから安全に注意します。
桜が満開のとき、主任といっしょに公園に行きました。
桜はずいぶんきれいです。じゃ、また手紙を書きます。
どうぞ、お元気で。」


三年前まで閉講式のたびに、(財)日中技能者交流センター初代理事長の槙枝元文氏が企業にお願いしていた一言があった。
「どうか家族が一人増えたと思って、研修生を受け入れてください。」
家族の幸せのために、家族から離れてチャレンジする人たちを受け入れる日本の企業は、
安価な労働力として利用することを目的にするのではなく、
「家族」の一員として迎え入れてほしい。
この素朴な表現のなかに含まれている心がぼくの心にぽっと灯が点るように感じられたのは、Kさんたちを送り出す前日だった。
「家族」というキーワード。
家族の一員として迎える心があれば搾取や酷使や損得のかけひきに翻弄されることはない。
経済危機の状態の中でも、トラブルに至らないで、共に状況を超えていく知恵と力が生まれるだろう。
ぼくはその心境を最後の式の挨拶で語ったのだった。
彼女は、いま家族の一員のように社員のなかで守られている。