五月に出版した小説「夕映えのなかに」(本の泉社)を、私の出身校や勤めてきた学校に五月末に贈呈した。
「夕映えのなかに」は、その時代の学校という舞台、友だちという存在、政治や社会のありかた、歴史、そして私の人生の意味や生き方に重大な影響を及ぼしたものを浮き彫りにしようとするものだった。数々の歓喜と苦悩、希望と失意の体験を書いた。
戦中から戦後の、その時代の学校の姿、教員の在り方、生徒、学生の生き方。それを小説に表すことで、現代の小学校、中学校、高校、大学に考えてもらおう。
本を贈る、それはたいへん出費のかさむむことである。だが「母校」の教員や生徒に読んでもらえると思えば、いそいそと手紙を添え、母校への想いを抱いて、校長、学長に郵送した。彼らからすれば遠い過去の卒業生からのメッセージ、それを読んでもらえて考えてもらえる、そこに希望があった。
ところが、その後、私の母校のどの学校長からも何の連絡もない。本が届いたのかどうかも分からない。
考えてみれば、相手側にとっては、「こちらが頼んだものではない、勝手に送ってきたもの」だから、広告宣伝のようなものではないか、そこらにポイと放っておく、返事なんてする必要はない、ということなのだろうか。
それとも、多忙をきわめているのに、そんなもの読む余裕はない、邪魔なものだ、ということだろうか。
しかし、過去の卒業生から、母校のトップに贈られてきたものなら、親愛の情をもって受け取り、親愛の情をもって、「受け取った」と返事もするのが、礼節ではないか。
私は、まず高校の校長に、ふたたび丁重な手紙を送った。そこには、時代とともにひどくなった偏差値による「学校格差」というものに左右されて、コンプレックスを抱いている在校生たちに、私の暮らした高校時代、第一線の学者研究者に混じって古墳、遺跡の発掘もした高校の「考古学研究クラブ」の活動や、私のクラス生徒を夏休みに北アルプスに連れて行った、若いアルピニストの担任教師についても知ってもらいたい、という思いを書いた。
しかし、二度目の手紙も無視された。「受け取った」という返事もない。
校長としては、どこの誰だか分からない、有象無象に返事なんかしてられない、ということか。
こういう人が校長職についている。
戦中から戦後の、その時代の学校の姿、生徒、学生の生き方。それを小説に表すことで、現代の小学校、中学校、高校、大学の教員を考えてもらおうと思っていたが、現実は、そんな行為や願いは風のようなものだ。
これまで私の人生で出会った管理職の姿が思い浮かぶ。「夕映えのなかに」に書いたが、数人の敬愛すべき校長がいた。しかし多くが、教育理念、教育実践、リーダーシップ、何一つ無い人たちだった。
この虚しさ。
どうすればいいか。