小さな人間の価値

 

 

 

 小田実が亡くなったのは2007年、阪神大震災の後、小田は、

 「人は殺されてはならない。棄民にされてはならない」

 「政府は、『住専』の破綻に対しては公的資金を投入するが、震災で家や財産を無くした被災者にはびた一文も出さない。これが人間の国か」

と、孤軍奮闘し、市民会議による国の制度「被災者生活再建支援法」を国会で成立させた。

 そして小田は力尽きる。小田実は奥さんの玄順恵に、

 「自分が死んだら、十年後、サントリーニに散骨してほしい。」

と言い遺した。 

 それから10年が経ち、玄順恵は散骨に出かけた。

 クレタ島に近いサントリーニ島は、エーゲ文明の中心地で、国際商業都市でもあった。

 小田がなぜそこに散骨してほしいと言ったのか。

 「ここには、戦士や武器の類の遺物が一切出てこない。きっと王のいない文明だったのだろう」

 自由と個人の責任のバランスを愛した小田実は、この島の文化がよほど気に入ったのだろう。

 10年後の散骨、朝日の昇ってくる清々しい時に行われた。散骨する船は、小さなクルーズ船。

 小田の遺灰は、小田の娘が一袋、妻の順恵が一袋持って、エーゲ海に撒き、花束を投げた。小田はエーゲ海の抱かれて波間に消えていった。

 

 小田は、古代ギリシャソクラテスを裁いた人間たちについての小説も書いていた。

 「『大きな人間』は、無茶をすることがある。その時、『小さな人間』が、自分たちの小さな力を信じて、反対し、やり直させる。それが『小さな人間』のやることだ。それがデモクラシーだ。デモス・クラトスが『大きな人間』のやることを是正する。『大きな人間』がいくら戦争を起こそうとしても、『小さな人間』が動かない限り、戦争はできない。『正義のための戦争』、『平和のための戦争』なんてまったくおかしい。『小さな人間』の存在価値は、戦争に反対する力を発揮することである。」