教え子からの手紙 2

 



 「夕映えのなかに」出版後、「卒業以来32年ぶり」という、加美中学校の卒業生のヤナから、なんともすごい回顧談と贈り物を受け取った。 
 彼女は、28歳の時に両親の大反対を振り切って結婚し、高麗大学の大学院で言語学を学び、日本にもどって仕事に就いた。仕事、親の介護、家事、育児は多忙を極め、そこに不幸が襲う。自宅が大きな火災にあったのだ。彼女はこれまでの多事多難を記したところで、不思議なことを書いていた。

 
 「現在 子供達はとても元気です。私も今年で49歳になるなんて信じられません。korean townのキムチ! 大阪らしくて先生に懐かしんでいただけるかと送りました。『夕映えのなかに』を少しずつですが、懐かしく涙ぐみながら読み進めています。」 
 
 そしてヤナは私の頭の中からすっかり消えていた、中学三年の時の出来事を書いていた。 
 
 「私が掃除当番をサボって、友達と遊んで家に帰ってきたら、先生が家の前に立っていて、 

 『ヤナの分を残してある』 

と言われました。私はその後か翌朝か記憶が定かではありませんが、先生に謝って学校に戻り、残りの掃除をしました。 こんなことをしてくれる先生はいません。

 またある時、転校してきて男子生徒皆が恐れていたケンカの強い男の子を、先生はいつも可愛がって面倒を見ていて、彼の名前を呼ぶ声が今でも耳に残っています。ある日曜日に、先生は私とその男の子と、もう一人のイサオ君を連れて、六甲のロックガーデンに行きました。私は ロッククライミングなんていうものを全く知らず、本物のゴツゴツしたかなりハードな岩山を登りながらバテてて、岩に座って休憩しました。横でイノシシが走り回っていました。やや荒れている問題児二人のなかに、なぜ私がメンバーリングされたのかは不思議でしたが、厳しい自然体験をさせて下さったことがとても印象に残っています。 」

 

 この文章を読んで、えーっ、本当?、と私は首を傾げた。そんなことがあったような気もするが、記憶は漠然としている。しかしたぶん事実だと思えるのは、イノシシが走り回っていたと書いていることだ。二年後、加美中学から平野中学に転勤して、クラスでピクニックを計画し、生徒をロックガーデンに連れて行ったとき、イノシシが岩場を走りまわり、一人の子が弁当を奪われて、さらに牙でけがをしたことがあった。

 ヤナの言う「ケンカの強い転校生」は小説の中では「チェミョン」の名で出てくる。ヤナは文章にこう書いていた。

 「ケンカが強いとか、怖いというのは周りが作ったイメージで、体格も立派で本当に強いんでしょうが、彼は根がとても優しい人で、私の推測では恐らく家庭環境に恵まれておらず、淋しい時間を過ごしている人じゃないかと感じていました。彼は心根はすごく素直で良い人なのに、どれだけ孤独だったろうかと胸が痛みます。見た目で怖がられて結局今も彼の人生の選択肢が一定方向にしか開かれていないことが悔しいです。」

 

 この文章に出会って、またもや私は自分の罪を意識する。小説「夕映えのなかに」に書いたが、私はチェミョンを守りきらず、彼を叱責したまま学校から去らせてしまった。その記憶ははっきりしている。

 ところがヤナはその後の成人したチェミョンについて書いていた。彼は反社会的行動を犯したというのだ。

 思い返せば、なんと自分は薄情な教員であったことか。

 懐に抱く、心で抱擁する、それがあの時彼には必要だったのだ。

 彼らの人生なかを、学校というもの、教員というもの、友だちというものが通過していく。そのなかに魂に響く存在があるか。生き方に影響を与えるものがあるか。

 それが生徒の人生を左右するのだ。