校長への電話

 

 

72日に、出身校に贈呈した「夕映えのなかに」のことを書いた。「何の返事もない」ことを。

 その後、やっぱりこのままにするのはよくないと思う。今の学校はそういうもんだ、ですましてはいけない。

まず出身高校の方に電話をした。

 「私は母校の遠い過去の卒業生です。5月に、校長、教職員あてに本を贈ったのですが、届いていますか。『夕映えのなかに』という本です。」

 事務職員の若い女性の声が聞こえた。

 「はい、受け取って開封し、校長に渡しました。」

 「それについて、受け取ったという返事がなかったので、6月に校長あてに手紙を送ったのですが、それは届きましたか。」

 「はい、受け取りました。それも校長にお渡ししました。」

 「では、校長先生にこの電話を回してください。」

 電話はつながれ、校長の声が聞こえた。

 「本は、そのまま図書室に入れました。その次の手紙? 覚えはありません。いろんな文書が送られてきますから、‥‥」

要するにいちいちそれらに目を通していないということか。話していて、だんだん空しくなってきた。こちらの真意が伝わらない。単なる事務処理の問題であるかのようだ。

遠い過去の「卒業生」から「母校」の教員と生徒への、親愛の思いを込めた本も手紙も、風のようにスルーしていく。今の教職員や生徒に読んでもらって、参考になればと思っていたが、やはり無理だったのか。

 

1997年、日本教育政策提言機構(主宰者 古市憲一)が、「『競争』から『共創へ』」という文書を発表した。サブタイトルは 「21世紀を展望のした小学校・中学校・高等学校・大学の教育改革の基本構想」。

そのなかにこんな文章がある。

「学校教育の要の人事、校長、教頭に人を得れば、学校は活性化する。ところが地域によっては、教頭から校長への昇任の人事を、校長同志の会合で、水面下で決めているときく。密室での話し合いで昇任人事の原案が決められていくという慣行は、現職校長の独善性と支配力を強めるだけで、教育実践を向上させない。校長になるために教頭は強い意見を出せない。中堅教員は教頭になるために言動は控え、ひたすらおとなしく振舞う。これでは教育現場に活気がみなぎるはずがない。‥‥

中学生、高校生の心の閉塞状況は想像をはるかに超えている。あるのは孤立感だけ、はたして学校は再生するのか。希望はあるのか。

感性と理性、社会性と特性、このバランスが崩れてしまった教育。

お力をお貸しください。ともに創りましょう。

                 日本教育提言機構『夢塾』」

 

 さて、その後日本の学校現場はよくなっているのだろうか。討議のある学校が目指されているだろうか。教員は、創造性を発揮しているだろうか。学校に自由があり、冒険があり、夢があり、改革が進められているだろうか。

 「右へならえ」

 君臨するボス、意見を言わない教員、生徒。