2012年 元日に思う


新年を迎えた。
今年は夫婦二人だけの静かな正月となった。 
突発的なウイルスの反乱が暮れに私の身体に起こり、その症状から大事をとって息子たちの家族は帰ってくることを取りやめた。
かわいい孫たちと過ごせないのは寂しいが、のんびり、ゆったりと正月を送るのもいい。
朝からいくつか映像を楽しみ、配達された年賀状を読んで、しばし雪の山を眺める。
人類におおいかぶさった雲行きはますます怪しくなった。
過ぎ越し時を振り返り、新たな年の先行きを考える。かつてない険しい道が見える。


理想の社会を強く願い、夢見る遍歴のはてに、終の棲家となるか、ぼくらはここに来た。
今、ここに住んで、余生を生きる。
この地に住めば、この地に住んだで、何をなさんとするか、何を描き、何をなすべきか、あれやこれやと思いが巡る。
国政も地方政治も、未来像を画けていない。
画けずに、目先のことで右往左往する。
一方、現実を変革する市民の力は休眠状態のように見える。


12月19日にも書いた茨木のり子の詩を、もういちどここに記す。
変革を願い、額に汗して働く人々の希望を歌った、戦後すぐに作られたこの詩を再びゆっくり一語一語かみしめる。
大変動の日本、悲しみ、絶望、不安、怒り、希望、信頼、
今この詩は何かを訴える。



         六月     茨木のり子
              
     どこかに美しい村はないか
     一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
     くわを立てかけ かごを置き
     男も女も大きなジョッキをかたむける
   

     どこかに美しい街はないか
     食べられる実をつけた街路樹が
     どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
     若者のやさしいさざめきで満ち満ちる


     どこかに美しい人と人との力はないか
     同じ時代をともに生きる
     したしさとおかしさと そうして怒りが
     鋭い力となって たちあらわれる



大きな社会体制を変えようとしてもできない。見通しも立たない。
それならば、下からの社会づくりを考えるしかない。
そこに住んでいる人たちが、住んでいる所で始める、その地の自立した自治活動・相互扶助活動を創っていく、「おらが村」を創っていく活動の再生。


12月23日、その提案を居住区の自治会でやってみた。
評議員会にも出してみた。だが、動きはつくれない。


いま自治の意識は衰弱し、人任せ、お上任せになり、形骸化している。村は、もともとは「おらが村」だった。自力で助け合って生きてきた村だったはず。


やはり思う。
小さな居住区から始める。小さな居住区だからできることをやるしかないと。
寄り合って、みんなの希望、夢を画く、新春の放談会。
それは無理、夢物語だ、と一蹴するのでなく、車座になって語り合う炉辺談話。


さて、今年、何をやれるか、何をやろうか。



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