新しい民主主義を生み出せるだろうか



 「ガンディーは、インドを独立に導くにあたって、『非暴力』を前提にしました。反抗して暴力行動に出るのではなく、イギリスへの非協力運動に徹することが独立につながるのだと切々と説いてまわり、国じゅうにどんどんその気運が高まっていったのでした。
 ところが、あるとき北方のある集落で暴動が起こってしまった。民衆が警官を殺してしまったからです。するとガンディーは、ただちにインド全土に向かって不服従運動の中止を命じたのです。
 運動の勢いはたいへん高まって、もう一歩でイギリスを撤退させることができるかもしれないというそのときに、ひとつの暴力事件で全員に中止を呼びかける。のちの首相ネルーも『ここまで盛り上がってきているのに、ガンディーさんどうしてそんなことを言うのか』と落胆の声を放ったといいます。
 そしてガンディー自身は、五日間断食をして、暴動事件で殺された人を悼み、殺人の罪を償おうとしました。
 その後、ガンディーは投獄される、民衆の意見も割れる。それで独立への道は遠のいてしまったかのように見えたのですが、ところがそれがのちに『塩の行進』のような新たな不服従運動へとつながって、独立を達成させるための本当の力強いエネルギーになっていったのです。
 ガンディーは、他の人の犠牲、悲惨のうえに自分たちの幸福を築いてほんとうにいいのか、ということを問うた指導者でした。
 悲しむべきことに、いまの日本にはガンディーのような強い信念を持った指導者がいません。
 それはなぜかを、本気で考えなければならないところに我々はきているわけですが、それでも可能性がないわけではありません。
 宮沢賢治は『農民芸術概論綱要』のなかで、『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』と言いました。誰かを犠牲にしたのでは人間は本当に幸福になれないんだというこの考え方は、ガンディーとひじょうに近いものがあります。」(山折哲雄『「始末」ということ』角川学芸出版


そして山折は、福島原発の事故に立ち向かう人たちの中に、原子力関係の元技術者たちが志願してきたことを書いている。放射能原発の知識や経験を持った元技術者たち、すなわち現役をリタイアした六十歳以上の人たちが、自分たちは若い人よりも被曝による影響は小さいし、自分たちの経験と知識が役立つならばと協力を申し出てきた。この日本的な土壌からも新しい道が開けてくるのではないかと山折は思う。
日本にはガンディーのような強い信念を持った指導者がいないが、このような日本の土壌からも、新しい芽が吹き出てくるだろう。それはどんな動きになって現れるだろうか。
元日に、NHKが放送した特別番組「2012震災後 日本と世界の眼」に、アメリカの学者ジョン・ダワーとオーストラリアの学者ガバン・マコーマックが登場し、長い対談を行なった。
3.11は、これまで歩んできた日本を根底から問い直す衝撃であった。これまでの文明観、価値観、体制は、劇的に変わるだろう。衝撃は空白のスペースをもたらしている。これを未来に開かれたチャンスにしなければならない。日本で最も悲しいことは、若者の信念が消えうせていることだったが、3.11後、日本を変えられる信念が復活してきたのではないかと思う。スペースを充たしていくのは底辺からの市民の動きである。日本で一貫して民主主義が機能してきたのは沖縄であるが、沖縄民衆の思想と運動や、反核の運動をその地に閉じ込めているかぎり、新しい日本の道は開かれない。規定路線、既成の概念をゼロにして、これまでの路線から脱し、新たな民主主義を生み出していくことができるか。二人の対談から、ぼくはこのような意見を聞き取った。
 イタリアの政治哲学者、アントニオ・ネグリへのインタビュー記事を読んだ。
 民主主義の領域において、新たな流れがあるとしたら、さまざまな領域のコントロール(管理、統制)に、多数の人々が直接参加する『新しい民主主義』である。今の民主主義のやり方を根本から改革する、労働、生産、金融、富の再配分を、多数の人たちが参加して、ともにコントロールしていく、その仕組みをつくっていくことである。いまの政府という統治組織には、人々の参加の度合いが足りない。各国の政府が危機に陥っているのは、政府がもはや社会を代表するものとは言えなくなってしまったためである。18世紀に生まれた民主主義の仕組み、代議制は、機能不全におちいっている。単なる群衆ではなく、自分の考え、アイデアを持ち、自律した市民個人個人が、みんなで共同討議して運動し、組織をつくっていく、そこから新たな民主主義が生まれてくる。
「今の日本の皆さんのように、深刻な危機に身をもって直面しているときこそ、何が本当の民主主義なのか実感できるはずです。そしてそこから新しい民主主義のかたちが生まれるでしょう。」(朝日新聞 1・4)


 はたして日本は変わるだろうか、変えられるだろうか。3.11を経ても、結局何も変わらなかったとなるのだろうか。
 ネグりは、ニューヨークの「ウォール街占拠運動」、スペインの「怒れる者たち」の運動、北アフリカの「アラブの春」のような動きから学ぼうとしている。
 運動は、身近なところから始まる。ネグりは、一例を挙げた。
「病院の運営で説明しましょうか。単に治療や研究の場だけでなく、患者との人間関係、愛情、社会とのつながりなど、もっと人間的な病院を組織するにはどうすればいいか。生活全般から考えるのです。これを政治に置き換えれば新しい民主主義のモデルを考えていくことができるでしょう。」