ドストエフスキーの語る「善き思い出」




 この文章に出会ったとき、ぼくはしばらく考え込み、遠い幼いころのことを思い出そうとした。


 「ドミートリーの母親はかれが幼いころ家を出てペテルブルグで亡くなり、父親は家に女を引っぱりこんではどんちゃん騒ぎの毎日であったから、ドミートリーは放り出されて、地べたをはいずりまわるような少年時代をすごしていたのである。その小さなドミートリーに赤の他人のドイツ人の医者がクルミを一フント(400g)与えて、お祈りの言葉を教えてくれる。それが、陽の射さないドミートリーの少年時代のほとんど唯一の美しい思い出なのである。
 そんなことを20年経ってもドミートリーは覚えていて、老いたその医師を訪ねる。
 『そうか、君があのときの坊主か、立派な男になりおったなあ』と老医師は大いに喜ぶ。二人は涙で顔をくしゃくしゃにしながら笑って抱き合い、思い出話にふける。ドミートリーは乱暴者なのだが、暖かな人の善意をよろこび、『善い思い出』を大切にする心を持っているのである。」
 
 カラマーゾフ家には三人の息子がいた。長男ドミートリー、次男イワン、三男アレクセイ(愛称アリョーシャ)である。父と長男は、24歳のグルーシェニカに夢中になっている。

 「グルーシェニカの場合も幼いときに聞いて大事に心にとどめている話が出てくる。ある百姓の女から聞いたのであるが、地獄で苦しんでいる人たちを助けるために、ネギを差し出してやる、という話である。これを換骨奪胎して芥川龍之介は『蜘蛛の糸』という物語を書いているのだが、その話がグルーシェニカは大好きなのである。彼女は堅気の人たちからは避けられるような女なのだが、そういう善い話はしっかり覚えていて、心の安らぎを得、知らない間に自分を冷酷さや愚かな高慢さから救っていたのである。
 ドストエフスキーは、小さいときに人間の内に植えつけられた『善い思い出』というものが非常に大事なものであると考えていた。これはドストエフスキーの晩年になってはっきり打ち出されてきたひとつの思想である。
 『美しいものの印象、これこそ幼いときになければならないものだ』とかれは言っている。『カラマーゾフの兄弟』では、ゾシマ長老が、九歳のとき、十七歳で亡くなった兄マルケルから『ぼくの代わりに生きてくれ』と言われた記憶を生涯の心の支えとしてきたことを語っている。ゾシマがアリョーシャを愛し、この青年を自分のいわば精神的後継者のように育てるのは、アリョーシャが亡きマルケルに『実によく似ている』からなのである。アリョーシャもまた、彼を慕う少年たちを前にしてゾシマと同じ考えを一生懸命語っている。『善い思い出』というものがその人間を守り養い、人間に生きる意味を与え、死を乗り越えて人と人との結びつきを生むのだ、という考えである。」


 ロシア文学・文化の研究家、中村健之助の「ドストエフスキー人物事典」(講談社学術文庫)を読んで、そのあまりに詳細でみごとな人物のとらえ方に感嘆した。そしてこの幼き日の思い出の文章が心に残った。
 ぼくはドストエフスキーから離れて、自分のこと、日本人のこと、そして日本の子どもたちのことを考えた。
 その人間を守り養い、人間に生きる意味を与え、死を乗り越えて人と人との結びつきを生む『善き思い出』、どんな『善き思い出』を心に刻んでいるだろうか。どんな『善き思い出』を子どもたちに語っているだろうか。