「北極圏のアウシュビッツ  知られざる世界文化遺産」


市の図書館の本棚に、大きな写真集が表紙の目立つように置かれていた。目に留まった文字は「北極圏のアウシュビッツ」、サブタイトルに、「知られざる世界文化遺産」とある。
手にとるとずっしり重く、扉を開いたらドストエフスキーの「死の家の記録」の一文があった。
「どんなりっぱな人間でも、習慣によって鈍化されると、野獣におとらぬまでに暴虐になれるものだということである。血と権力は人を酔わせる。‥‥人間の尊厳への復帰と懺悔による贖罪と復活は、ほとんど不可能となる。」


写真家、亀山哲郎は単身、極北の島へ、その悲惨の歴史をたずねていった。そこは北海に浮かぶ群島、ソロフスキと呼ばれていた。一年の半分は白夜の世界、ソロフスキはもともとロシア正教会の教会と修道院がつくられ、北の聖地として信者が集まった。革命が起こり、ロシアはソビエトになり、スターリンが権力を握ると、島は良心の囚人が送り込まれる収容所になった。体制の犠牲者になった人は数え切れず、2000万人とも言われている。その規模は、ナチスユダヤ人虐殺に肩を並べる。
ソロフスキの虐殺が知られるようになったのは、ソルジェニーツィンの「収容所群島」が出版されてからで、ソ連が消滅してロシアになってから現地にも入れるようになり、真相が次第に明らかになった。が、今もって謎が多く、ロシアになってからも国家としてこの犯罪に向かい合っていない。
ソロフスキは今は世界文化遺産に指定されている。だがそれは負の遺産としてではなく、ロシア正教会の歴史的建造物としてであり、今も島に残る収容所として使われてきた建物などは遺産に指定されていない。
写真に写されているタマネギのような形をした屋根を持つ建物も風景も美しい。収容可能人数をはるかに越える囚人たちは人の上に人が横たわって夜を越したという木造建物も風雪に耐えて美しい。過去の悲劇を内に秘めた遺跡は、深い沈黙のなかにある。
亀山がモスクワからこの極北の島に入るのは容易なことではなかった。世界文化遺産であるにもかかわらず、観光客は行かない。
ソロフスキの経てきた歴史、ロシアが経てきた歴史、それはとてつもなく巨大な揺れだった。
亀山の接するロシア人は、純朴で愉快な人たちだった。この愛すべき人たちの国でどうしてこんなことが起こったのか、写真に添えられた紀行エッセイは亀山の疑問をつづる。
「残虐や残忍性を声高に非難することは簡単なことだが、なぜそのような土壌が生まれ育っていったのか、という人間の心のうちに、目を向けることが最も大切なことではないか。」
権力を行使する側の人間の精神よりも、良心や正義を標榜する善良な市民の側の精神に目を向ける必要があるのではないか。
写真集の最後に、東大教授の塩川伸明の文章「時代の磁場」が掲載されている。
塩川は、今なお改めて問わねばならないと次のように投げかける。
「何よりもまず、このような悲惨な現象がどういう要因から生じたのか」、「そしてまた、どうして人びとはこのような暴虐を受容してきたのか」、「後世の地点から眺めると、どうしてそんな非道がまかりとおったのかと、いぶかられるようなことも、その当時の多くの人には『やむを得ない』『必要悪』として受容され正当化されていたのではないか」。
「悲惨な現実が大なり小なり知られていても、それを正当化するメンタリティがあったというのが歴史的現実であり、そうしたメンタリティ成立のメカニズムを明らかにする必要がある。」
ソ連の中で生きていた人たちが恐怖政治の中におかれていたことはいうまでもないが、それにもかかわらず壮大な英雄的な国家建設という目標を国民が分かちもっていたという事実がある。壮大な理想の実現という夢への陶酔と巨大な犠牲との共存、そのことと現在の世界を照らし合わせてみよ、今はどうなのか。敢然と悪と戦う「正義の戦争」という「理想」を掲げた「巨悪」が、今も世界をばっこしているではないか。


つい最近のことだ。広島平和公園の原爆慰霊碑に刻まれた碑文にペンキがかけられていた。
「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから。」
この「過ちは繰り返しませぬから」にペンキがかけられていたのだ。
この一句については当初から異論があった。原爆を落とされた側が、何ゆえ反省を誓わなければいけないのかと。
しかし、原爆を投下したアメリカの罪は明らかであるが、原爆投下にいたる戦争をはじめた日本、それを許して戦争に邁進してしまった国民の責任、なぜそうなったのかを問わずに、どうして犠牲者を慰霊できよう。
再びそういうことが起こらないような国をつくっていくのは、国民の責任であり仕事である。犠牲者に語りかかける痛恨の叫びは、「過ちは繰り返しませぬから」と、胸底からしぼりだす声以外になかったのだ。