快復



心臓の検査の結果を電子カルテで見ながら、医師は言った。
「五十台の心臓ですよ。きれいですね。若いです。」
医師の机に置かれたモニターにぼくの心臓が映っている。たこの足のような大動脈や細めの血管やら、くっきり出ている。
へえ、なんとまあ、こんなに立体的に僕の心臓が映像になっている。おどろくべし、この技術。
「どこにも問題がないですよ。血液検査もいいですし。」
「はっはっは、みごとな映像ですねえ。では、あのときの激しい不整脈はどうして起こったんでしょうかね。やはりストレスですかね。」
医師は笑っている。やっぱりストレスと疲労ですかね。
「どんどん運動してください。」
「はっはっは」
どんなもんだい、オレの心臓、やっぱり鋼鉄だ、なんて言っても不整脈が出たではおまへんか。
ストレスといえば、文章を考えるとき、三時間、四時間、息を詰めて集中するときがある。あのときもそうだった。そういうときは消耗する。
今朝は気温がマイナス10度で、こういう寒さもストレスになりそうだ。
若い時は、マイナス20度でも30度でも、へっちゃらだったがねえ。靴が凍らないように、冬山のテントの中に持ち込み、寝袋の頭のところに靴を入れて寝ていたものだがねえ。
何十年前の話? 半世紀も昔のことでしょ、いつまでも若いつもりでいて、と家内は言うが。


不整脈が収まった後に出た帯状疱疹。これは暮れから正月の四日まで一週間抗ウイルス薬を飲んで、やっとウイルスは神経への攻撃から撤退した。
「一週間、飲み続けてください。」
と医師が言ったとおり、7日目に疱疹は赤みを減らし、黒っぽいかさぶた状になった。しかし、小さな針で体の内部を刺すような痛みは後遺症として今も残っている。
ウイルスは神経をきりきり攻撃しよった。大分傷ついたようだ。布団に入ってから、痛みはもっと強くじんじんと湧いてくる。温めたらいいかなと、腹部の疱疹の上辺りのシャツに、使い捨てのミニ懐炉を貼り付けた。だがそれでも痛い。寝返りを何度も打って、痛みのない体の向きを探るうちに寝入ってしまい、朝を迎える。
今朝の室温は二℃だった。


今日の夜は、市民運動の会議がある。
ぼくは、一つ提案することになっている。
議員たちへの公開質問状だ。
代議制民主主義の問題が、メディアでも取り上げられ始めた。
地方議会も、いったい議員はどんな意識をもってやっているのか疑問が膨らんでいる。
東日本大震災以降、被災地では住民参加ぬきに政治は成り立たないことが示され始めているではないか。
住民がみんなで政治を考え、語りあう、そういう場をつくらねばならない。