「言葉が無い」ということ

 「言葉が無い」、ということ について、ダウン症の我が子を観察した想いをK君が送ってきた。いや「観察した」という言い方をしたが、そうではないかもしれない。そのときは言葉のない息子と一体になっているから、それを表す別の言葉が見つからない。
 この文章を読んで、K君も幸せいっぱいだった、福ちゃんも幸せいっぱいだった。幸せいっぱいの気持ちは言葉で表現できない。かわいくてたまらない、その時の気持ちも言葉では表現できない。
 次がK君の文章である。とにかく、いい文章である。
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 福ちゃんが、クリスマスプレゼントを持って、帰ってきた。
 中に入っていたのは、
1)紙コップでつくった、トナカイとサンタさん。
2)クッキー5こ(袋)
3)でかいデコレーションされたドーナッツ型のクッキー。
4)小さなビスコやグミがいくつか入った袋
5)くるみ
6)まつぼっくり
 まず、福ちゃんはトナカイとサンタを取り出し、それを手で動かした。
 トナカイがなにかしゃべっており、やわらかいラグの上を行ったり来たり。ついで、手のひらで、トナカイの背中から何かが飛んだような動きを示した。
 地面のどこからか「福ちゃんが手で表す何者か」が、トナカイの背中に乗る。サンタの方にもトナカイが何かしゃべりかけて、サンタもまた返事を返すような動き。
 空からなにかきて、トナカイの目の前に。トナカイはまた動いて、向きを変え、皿の上のクッキーの近くに停車。
 それが10分ほどつづくと、今度はクッキーの皿を自分の両脚の間にはさむようにして、
 うふふ、うふふ、と顔をあげたり、さげたり、つんつんとクッキーをつついたりする。
 クッキーの表面に、銀色の粒状のなにかがあるのを、そっとなでている。
 一粒、そこからこぼれ落ちたのを、また丁寧にひろって、もう一度、元あった場所に、そっと置いた。
 指になにか、水色の粉がついた。そっと指の先をなめてみる。おいしい。いい感じ。
顔を近づけるたびに、「ふー」というような高い声を出して、『にまにま』する。
 このとき、わたしは福ちゃんが一切の言葉をもたないことを、なんともいえない気持ちで見守っている。
 わたしは勝手に、福人の気持ちを言語化する。
「これ、なんだろう、この銀色」
「あ、落ちちゃった」
「またくっつくかな」
「あれ、甘いな」
 ところが、この言語化が、おいつかないのである。福ちゃんの実際の感情や、味わっている世界と、わたしの言語化する世界はぜったいに異なってしまう。
 ニマニマしているときの、顔つき、目つき、目が光っていること。そのときの気持ちをわたしは言語化するすべを持たないのであります。
 福ちゃんの感情は、猛スピードの新幹線のように、動き回っているからですナ。
 もっともっと、複雑で緻密な、精妙な感情。それらを、わたしが勝手に想像し、言語化することなど、不可能。短い数秒間に、100以上の表情があるような気さえ、してくる。
もう、そうなったら、無理でしょう? 言葉なんて、無力でしょう。
と思った途端、あれ、と思う。
 言語を自由に扱っているはずの、日本語に堪能なはずの自分たち大人は、福ちゃん以上に賢いはず。しかし、各駅停車のようにして、
「これ、おいしいねえ」
「うん、甘い」
という会話を平気で交わしているのだ。
 そして、なんとものっぺりした、単調な、かんたんな言葉にその思いを託してしまって、
「おいしかった」
と言って終わりにしている。
自分は、このときの福ちゃんほど、クッキーを味わったことがあるんだろうか、と思う。
 福ちゃんは股の間に皿をかかえて、笑いだしそうな自分をこらえているような表情で、そのまま20分間も、ずっとクッキーを眺めておりまして・・・。
 そしてようやく、つんつんと指でさわるのを終えて、一枚目を、それはそれは大切そうに、音のしないように噛んで、さっくりさっくりと食べたのでありました。
寄ってくる子猫を左手で追い払いながら、笑いだしそうな顔で、ずーっと黙ったまま、目を閉じたり開いたりしながら、クッキーを食べたのでありました。
 わたしは、クッキーの味を、なんだか思い浮かべながら、自分の知っているクッキーの味が、なんとも単調で平板な気がしましたよ。
 わたしはたぶん、クッキーの味を、本当には知らないのかもしれないです。福ちゃんほどには。