茨木のり子「鄙(ひな)ぶりの唄」


 

 


 「鄙(ひな)ぶりの唄」という題の詩、「鄙(ひな)ぶり」という語は、「古代歌謡の曲名」であるとともに、「田舎風の洗練されていない唄」という意味がある。茨木のり子の詩は、彼女の心、感性が、ストレートに伝わってくる詩だ。


       鄙(ひな)ぶりの唄

   それぞれの土から
   陽炎(かげろう)のように
   ふっと匂い立った旋律がある
   愛されてひとびとに
   永くうたいつがれてきた民謡がある
   なぜ国歌など
   ものものしくうたう必要がありましょう
   おおかたは侵略の血でよごれ
   腹黒の過去を隠しもちながら
   口を拭って起立して
   直立不動でうたわなければならないか
   聞かなければならないか
      私は立たない 座っています
   演奏なくてはさみしい時は
   民謡こそがふさわしい
   さくらさくら
   草競馬
   アビニョンの橋で
   ヴォルガの舟唄
   アリラン
   ブンガワンソロ
   それぞれの山や河が薫りたち
   野に風は渡ってゆくでしょう
   それならいっしょにハモります

      ちょいと出ました三角野郎が
   八木節もいいな
   やけのやんぱち 鄙(ひな)ぶりの唄
   われらのリズムにぴったしで


 茨木のり子は1926年、大阪で生まれた。戦争の時代を生き、敗戦の年は19歳だった。惨憺たる社会の荒廃の中、彼女は人を励まし鼓舞する詩を書いた。詩はメッセージ性が強い。彼女は2006年、急逝した。
 学校での「国歌斉唱」の情況は、ますます強圧的になり、歌わない教員、起立しない教員に監視の目が注がれ、弾圧が起きると聞く。生徒に対する強制力は多分さらに陰湿なものになっているのではないかと危惧する。