安曇野のオアシス
砂漠を旅してきた旅人はオアシスで体を休める。オアシスには水があり緑が茂り、人びとが住む。安曇野は日本のオアシスと言えるだろうか。視点を狭めて、安曇野の中にオアシスはあるだろうか。あるとしたら、それはどこだろう。体と心に、安らぎ、癒しをもたらす所、人びとが集い、団らんのあるところ、自然と人為の調和するところ、それはいずこに。
オアシスは、自然を活かして、住民の理想と希望を結集させて、創りあげるところなのだ。成り行きに任せて放置していたら、破壊と消滅が進むばかりだ。
安曇野を南北に貫く広域農道沿いは、安曇野市を文化的に高め、市民の交流を深めるのに役立つ要素をもっている。「安曇野オアシス」誕生の可能性はここにもある。
既に商業スペースになっている三郷、堀金、穂高の三地点、すなわち三郷の楡スポット、堀金の烏川スポット、穂高の穂高大橋北のスポットには、オアシスの条件が既に備わっている。三郷ポイントには、園芸店、物産店、市場、飲食店、神社がある。堀金ポイントには、物産店、農業関係店、集会とスポーツの施設、公民館がある。穂高ポイントには、商業関係店がいくつかある。そこにオアシスをつくれないか。明科地区や穂高の山麓線沿いにもつくれないか。
広場を確保し、木陰になる植樹を行ない、ベンチを設置し、オープンカフェやフリーマーケットが開かれるようにする。ビオトープができれば、子どもにとってもすばらしい。ストリートミュージシャンが演奏をする。市民のコーラスがイベントに花を添える。将棋や囲碁の青空の会も開かれる。安曇野の美術工芸を一堂に陳列する工芸館もつくれるだろう。工芸館では実地に創作活動も行なわれる。
さらに安曇野を南北に貫く広域農道にはすべて歩道をつけ、並木を植える。松本市の境から松川村までつづく一本の長大な並木は安曇野の景観を目を見張るものにするだろう。樹冠の緑がリズムを奏で、オアシスには人びとが寄りあい、交流が生まれる。詩人、茨木のり子の有名な詩「六月」は、願いを詠った。
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
都市計画の中に、「オアシス計画」を構想できないものか。
安曇野市の姉妹都市である真鶴町の条例について、松原隆一郎は著書「失われた景観」で次のように評価した。
「これまで日本の景観は経済の趨勢によって形作られてきた。日本における景観の崩壊理由を経済や法の特質までさかのぼって分析し、政治論や認識論を駆使して対案を提起した点で、真鶴の条例は衝撃的であった。」
安曇野市もたぶん真鶴町に学んだであろう条例を定めている。住民が快適に安心して生活でき、子どもたちが健康に育ち、歴史と文化と自然が香る環境づくり、それが都市計画の基本になる。観光客は、歴史と文化と自然が香る安らぎの地を求めてやってくる。
国の景観法第二条は次のように定める。
「良好な景観は、美しく風格のある国土の形成と潤いのある豊かな生活環境の創造に不可欠なものであるにかんがみ、国民共通の資産として現在および将来の国民がその恵沢を享受できるよう、その整備及び保全が図られねばならない。良好な景観は地域の自然、歴史、文化等と、人びととの生活、経済活動等との調和により形成されるものであることにかんがみ、適正な制限の下にこれらが調和した土地利用がなされること等を通じて、その整備、保全が図られなければならない。」
「あづみのシティマップ」の「わが区の紹介」で私が最も注目したのは、明科の潮沢区だった。
「潮沢区に残る旧篠ノ井線の歴史を後世に残そうと、区民が立ち上がり、この廃線敷を片道6キロメートルの散策路に整備しました。赤レンガ造りの漆久保トンネルや、トンネルを抜けた先に広がる三万本のケヤキ林の景色などに惹かれ、区民だけでなく観光客も訪れています。」
潮沢区の住民が、旧篠ノ井線の歴史を後世に残そうと動いたことに感銘する。
目先の利益や便利さではなく、未来へつながる安息の地を創ろうとする営みがオアシスに結び付くのだと思う。