虫さされ



 日が昇るまでの朝の涼しい内に、黒豆畑の草を鎌で刈る。二時間ほどのこの作業はここ5日間ほど、続けてきた。
 金曜日、草取りから帰ってきて作業着を着替えた。ズボンを脱ぐと、両足首周りに赤い斑点がプツプツあり、足首がいくらか腫れている。ダニか? 噛み口なのか刺し口なのか、皮膚に開けられた傷の点を数えると三十はある。腕にもいくつか斑点がある。
 「マダニであったら、ややこしい。」
 ハチには毎年数回刺される。少々の虫刺されなんか、適当に薬を塗って放っておく。けれど、この無数の刺し口と次第に腫れが大きくなるのが気になり、皮膚科の医師に診てもらうことにした。医院は自転車で数分のところにある。9時過ぎに医院の受付に入った。
 「患者さんが多いので、診察は11時半になります。」
二時間半もここで待つわけにはいかないので、いったん家に帰り11時半に医院に行った。女医さんは、足を診て、かゆいですか、と訊いた。全然かゆくないです、と言うと、私もあまりかゆく感じないんですよ、年をとると痒みを感じないんです、吉田さんの年になれば感じないのが当たり前です、と言って、これから24時間から48時間の間に、パンパンに腫れてきます、かゆみ止め以外は特に治療の必要はないです、でもドッカーンと症状が出てきたら、すぐに来てください、処置をします、マダニではないです、と言った。
 他のダニなのか何なのか、そのことには言及はなかった。
 翌日また朝の早くから草取りをしていた。近くの床屋の加山さんがトラックで古材を運んできた。
 「ダニにやられましてねえ。」
 「どれどれ、そりゃダニではないだ。ブヨだ。ブヨは日が昇る前と日が沈んだ後で活動するだ。」
 ブヨ? ブヨなら以前何回か刺されたことがある。刺されたところはすごく腫れる。だが、刺されたところが足首に集中して無数にあるのが合点がゆかない。
 「ブヨに間違いないだ。綿があれば、それに火を着けてぶすぶす煙を出すだ。ブヨは煙があると逃げていくから。蚊取り線香を腰にぶら下げるのもいいよ。」
 そうかあ、ブヨかあ。突然話が変わった。
 「吉田さん、ソバ打つかい。ソバをこねる木の台があるで、いらないかね。」
 加山さんは、いつも木を切ったり割ったりして、薪をこしらえている。風呂は薪で沸かしているし、暖房も薪ストーブかもしれないから、木がたくさん必要だ。あちこちから要らなくなった木をもらってくるから、庭には廃材がいっぱい積み上げてある。
 加山さんの庭に入ると、高さ1メートルほどの壊れた大きな木の樽が目に入った。
 「この樽、壊してしまったんですか。ひゃあー、これ値打ちもんですよ。竹を編んだタガでしょう、もうこんな樽を作る職人がいなくなってきているんですよ。もったいないなあ。」
 「じゃあ、持って帰るかい。ソバ打ちの台はこれだに。これ一つ持って帰りましょ。」
 一メートル四方の厚さ3センチほどの白木の台、重さ30キロを超える。
 「もらってくれる人があれば、うれしいだ。我が家では燃やすだけだから。」
 結局、ソバ打ち台、半壊した大樽、壊されていない小さな樽、木の蜀台をもらってかえった。
 日曜日朝、草取り。鎌で黒豆の列の間の草を刈る。隣で畑を50坪ほど借りていろいろつくっている熊谷さんが来られた。ぼくの足を見て、
 「ブヨです。間違いなし。」
 そこでブヨにやられた話。ズボンの股のところが破れていて、草取りをしていて、その破れたところからブヨが入り、キンタマを刺された。
 「かゆいのなんのって、たまらん。」
 ほれほれ、水場のまわり、朝夕の日のささないころ、この飛んでいる、蚊より小さな虫、こいつですよ。