加美中学1985年卒業生同窓会 <4>

 同窓会の翌朝、道頓堀の川端に造られた木の桟橋の遊歩道をひとり散策した。川の水は緑に濁り、これでは魚は棲めそうにない。以前、堀をきれいにしようというキャンペーンで、EM菌を水に投入したり、空気を水中に送る装置で浄化を行なう活動があったようだが、今は何をしているんだろう。水面にいくらかゴミも浮かんでいるが、多くはない。向こうから歩いてくる労働者風の人がゴミの入ったポリ袋を川の中へポーンと投げ込んで行った。おじさん、そりゃだめだよ。ベンチにホームレスの人がいた。横断幕が川端に張ってあり、2020年とか25年とかに大阪で国際会議があるらしい。それに向けて川をきれいにしようと呼びかけているのだろう。それならますますクリーンにしなけりゃならないよ。若い警察官二人に出会ったから、堀のことを聞いてみる。
 「道頓堀はきれいになっているんですかね。」
 「前よりはきれいになっているようですよ。魚が跳ねているのを見たことがあります。」
 ふと思った。大阪は全国の学力テストの児童生徒の成績が全国最低であるらしい。そこで大阪市長は学校を叱咤激励して、成績の悪い学校の教員の給料を下げるぞと言っているらしい。なんともはや、あきれたもんだ。生徒の学力は「学力テスト」で測れるもんではない。川の水を見ていてひらめいた。学校教育を改革するというなら、この道頓堀の周辺の小中学校の生徒たちがこの堀川にやってきて、水のきれいな川にしようという教育活動をしてみたらどうなんだ。それこそ江戸時代から愛されてきた故郷の川を子どもたちで取り戻す壮大な事業をやることになり、その教育効果は、学力テストで測れるものではない、もっと大きなノーベル賞ものになる。川を浄化し、澄んだ水に魚が泳ぎ、カモなどの鳥がやってくるようにするには、どうすればいいか。子どもたちは研究し、学者・研究者・実践者から学び、協力も得る。水の調査をし水質を調べる。川の底はどうなっているか調べる。水質をよくする方法は何か、海外の研究と実践も調べる。そして学校などで研究発表会を行なう。そこから生まれてきた浄化の方策を実施に取り掛かる。この実践からいろんなことが分かってくるし、発見・発明も生まれるだろう。子どもたちの意識も変わるだろう。郷土・社会に対する見方、精神も変化するだろう。さらに市民の意識も変わる。この体験がもたらす教育効果は計り知れない。
 堀端を歩きながら、ぼくはそんな空想をしていた。自分はもう何もできないけれど。
 ホテルで朝食を食べながら、安井さんにこの話をしたら、彼も大阪の教育を憂えているから共感するものがあったようだった。
 ホテルを出て、昨夜の同窓会に来た生徒より三年前の加美中学の卒業生で、とびきりのツッパリだったシンちゃんに電話を入れ、九時半に平野駅へ行った。駅につくと、車で待っていてくれた。シンちゃんの焼肉店は自分で工事したもので、キープした酒のボトルが棚に三十本ばかり並んでいる。そこへ同級生の中谷とバチコが来た。午前中はそこでおしゃべりに花を咲かせ、12時に藤井寺のレストランで待ち合わせしている同級生のところへバチコに車で送ってもらった。
「ヨッサンに会いたいと、私の母が言ってるから会ってよ。」
 バチコは車を運転しながらそう言いだして、12時も迫っていたけれど、同じ藤井寺市内の応神天皇陵近くにあるバチコのお母さんの家に車を走らせた。バチコのお母さんとは、バチコが卒業してからの再会で、大喜びだった。