いたるところに歩く人のための道がある。
道端にベンチがあり、湧水でのどをうるおし、
道の並木はどこまでも続き、
夏は木陰、春は花の中、秋は紅葉と木の実、出会う人とちょっとおしゃべり。
小さなお店が出ていて村の人が野菜や果物を売っている。かすかに音楽の流れているカフェもある。
こんな安曇野になればいいなと思う。
この夏、大王わさび園へ孫たちと行ってきた。到着すると、そこは駐車場の車々々、いっぱいの車、交通整理の人が数人、駐車の案内をしている。園内の売店は混んでいて小型のスーパーなみ。
高い木立に囲まれた山葵田の景観はすばらしい。そこに接して透明な水の流れる川がある。さながら別天地だ。山葵田は人間の長い切磋琢磨によって作られてきた自然と人為の結晶と言えよう。取り巻く背高く伸びた林との調和、遠くに北アルプスの山並み、その美観には感嘆する。だが残念なことに、そこは限定されている。点であり、面になっていない。
何かが欠けている、何かが壊れている。その欠落は、他の名所についても共通することなのだ。
もし、穂高駅からわさび園まで、歩く人のためだけの、並木の続くたおやかな小道(パブリックフットパス)があり、要所要所に休憩できるベンチがあれば‥‥、
さらにわさび園の入口にひしめく車はなく、駐車場は緑の木々で覆われて車は見えず、そこに入れば湧水の庭園が水車小屋のある清流につながっているならば‥‥、
大王わさび園は最高の心の癒し場になるだろう。穂高駅から歩けば楽しい散策が待っていて、何度でも行きたくなる。憩いの場は、目的地だけにあるのではなく、調和した景観がつづく緑道の過程にもあり、到達するところに全面展開する。
そういうビジョンをもった都市計画が必要なのだ。
南北に貫く広域農道は車に占拠されて、歩く人は皆無だが、ここを美しいオアシス街道に創り替えることは可能なのだ。
研究家・後藤春彦は、「景観はパブリック・ヒストリーの宝庫である。日本の風景の貧困は、歴史や文化を映し出す“生活景”を失ってしまったことに大きく起因している」と言った。ミュンヘンに住む建築家・水島信は、「ドイツの環境保全に関する指針は経済性よりも生態系優先を目的としている。一貫性を持って将来像を描いて計画する専門家が各都市にいて、街づくりに住民がかかわり、自分たちの街づくりに責任をもっている。」
と述べている。
街を抜けて野や林を歩き、人びとの暮らしに触れ、芸術に出会い、体験と人的交流のある安曇野にするには、ビジョン・理念をもって住民が創っていく営みが必要であり、行政はそれを強力に推進していかねばならない。民主主義の質なのだ。「安曇野ファン」はそういう営みから生まれてくるだろう。
茨木のり子のこんな詩に出会った。
お休みどころ
むかしむかしの、はるかかなた
女学校のかたわらに
一本の街道がのびていた
三河の国 今川村に通じるという
今川義元にゆかりの地
白っぽい街道筋に
<お休みどころ>という
色あせたレンガ色ののぼりがはためいていた
バス停に屋根をつけたぐらいの
ささやかな たたずまい
無人なのに
茶碗が数個伏せられていて
夏は麦茶
冬は番茶の用意があるらしかった
あきんど 農夫 薬売り
重たい荷を背負った人びとに
ここで一休みして
のどをうるおし
さあ それから町にお入りなさい
と言っているようだった
誰が世話をしているのかもわからずに
自動販売機のそらぞらしさではなく
どこかに人の気配の漂う
「お休みどころ‥‥やりたいのはこれかもしれない」
ぼんやり考えている十五歳の
セーラー姿の私がいた
今はいたるところで椅子やベンチが取り払われ
座るな とっとと歩けと言わんばかり
*
四十年前の ある晩秋
夜行で発って朝まだき
奈良駅についた
法隆寺へ行きたいのだが
まだバスも出ない
しかたなく
昨夜買った駅弁をもそもそ食べていると
その待合室に 駅長さんが近づいてきて
二、三の客にお茶をふるまってくれた
ゆるやかに流れていた時間
駅長さんの顔は忘れてしまったが
大きなやかんと 制服と
注いでくれた熱い渋茶の味は
今でも思い出すことができる