モリス、国分功一郎、山崎亮と現代の日本

 ウイリアム・モリスは、「ユートピアだより」という空想小説を書いた。彼は、1834年、ロンドン郊外で生まれ、当時日本は江戸時代後期、モリスは詩人、工芸家、装飾デザイナー、民衆文化、社会主義運動家として活躍し、日本では明治後期の1896年に亡くなった。
 モリスの時代のイギリスは、高度経済成長を遂げて世界経済の覇者となり、一方で大きな社会矛盾も抱え、激しい貧富の格差、スラムが生まれ、工業化による公害も発生していた。
 「ユートピアだより」のなかで、一人の老人が語る。
 イギリスは、かつては森と荒れ地の間に開墾地があった。それが巨大で醜悪な工場や賭博場が建ち並び、貧困にさいなまれた農場が、工場主たちによって強奪された。
 政府は、行政機関を後ろ盾にした裁判所だった。それが暴力をふるった。あざむかれた民衆は、その裁判所がみずからのために暴力を行使するのを許した。暴力とは、陸海軍と警察だった。
 文明の最後の時代に、人は物品の生産という問題で、悪循環におちいった。彼らは見事なまでに楽々と生産できるようになった。便利さを最大限に生かすために、複雑なシステムを発達させた。世界市場である。世界市場がいったん働きだすと物品のあるなしにかかわらず、ますます大量に生産し続けるように強制した。その結果、本当に必要な品をつくる苦労から解放されることはできず、ニセの必需品や人為的な必需品を際限なく生み出すことになった。それらは世界市場の必需品になってしまった。人びとはひたすらその悲惨な制度を維持するだけのために、とてつもなく多くの仕事を背負い込むはめになった。無用のしろものを生産するというひどい重荷を負わされ、よろよろと歩いていかねばならなくなったので、人びとは労働とその成果を一つの観点からしか見ることができなくなった。すなわち、いかなる品物も手間をかけずにつくりだそうと常々つとめるようになり、そのためにすべてが犠牲になった。働く者が仕事するときに得られる幸福はもとより、心の安らぎ、最低限の健康、衣食住、余暇、娯楽、教育まで、要するに暮らしそのものが生産費の削減と秤にかけられ、一粒の砂ほどにも値しないとされてしまった。

 モリスの夢、それは200年後の21世紀に出現させることができたユートピア、それは心を癒す庭園の国。強制的な制度も、政府や法律なども廃止され、各人は自らの知性と自由に従って生活を楽しんでいる。すべての仕事が楽しめ、名誉が得られ、豊かになれる希望を抱いて仕事をしている。仕事そのものの中に喜びがある。芸術家として仕事をする。革命の目的は、人びとを幸福にすることだ。

 ところで、昨年7月、国分功一郎と山崎亮が、「僕らの社会主義」(ちくま新書)を出版した。二人が考える社会主義とは、今までのボルシェビキのような社会主義ではなく、楽しさと美しさを心から肯定できる民衆の生活だ。二人はここでモリスを取り上げた。
 デザイナーだったモリスは、なぜ社会について語り、行動するようになったのか。
 19世紀、イギリスは都市近郊の工場で働く労働者を必要として、彼らに苛酷な労働を強いた。モリスのイギリスから120年の時を経た今、日本は格差が目に見えて大きくなり、モリスの19世紀に似てきた。国分、山崎は、19世紀の思想家たちの研究をすることによって、今日本が直面している問題へのアクセスのし方が見えてくるのではないかと考えた。
 18世紀、貧困の徒弟時代を送ったルソーは、個人と集団の問題、自然と社会の問題、孤独と連帯の問題について思想的にアタックした。19世紀、「資本論」やロバート・オウエンの影響を受けたモリスは、機械で作った粗悪品を使っていては、生活まで貧相になる、良質なものを使う生活を実現しよう、美しいものを楽しみながら作ろう、良いものは楽しみながら仕事をした結果であると考えた。日本では大正時代に、モリスはよく読まれ、「芸術的社会主義」として受け入れられた。
 モリスの夢のユートピアは21世紀に実現すると描いた。人びとは、「仕事が喜びで、喜びが仕事になっている暮らし」をしている。しかし現実の日本も世界も、今やただならぬ状況にある。国家主義ナショナリズムは熾烈な摩擦を起こし、未来展望の持てない有り様だ。ユートピアなんぞどこにもない。
 ナショナリズムは、資本主義的生産様式の世界史的支配が、諸民族国家の複雑な対抗関係を通して存在する(安丸良夫)。
 国分功一郎と山崎亮の対談で、この複雑で難しい時代にいて考えなければならないのは、社会のなかに生起している問題に対して住民自身が参加し考えるということだ、どんな社会をつくりたいのかと、身近な行動知から提言している。
 「複数の人間が集まって何か一つのことを決めていくとき、ある人はとんがった屋根をよいと言い、ある人は丸い屋根がいいと言い、収拾がつかないから多数決で決める。それが常識だった。しかしそうする必要はないということが実践で分かってきた。一緒にいろいろやっていると、一定のプロセスを経るとそれなりにみんなが満足するものができる。参加する人の中にひじょうにケミカルな変化が起きるのだ。自分が住民運動に参加した時、人びとの理想、主張はそれぞれ違う。でも一緒に運動をやって、話し合いをしていくと、みんなの考え方が徐々に変わっていく。ケミカルな変化が起こって前に進んでいく。そのなかでそれなりの最適解が見えてくる。意見の不一致があるから多数決で、ということにはならない。」
 住民が参加してワークショップを開き、コミュニティをデザインする。地域計画を立てて、公園、街づくり、福祉、教育、産業、労働などについて、住民で考える。そこから新しい社会主義が実践できるのではないか。
 これまでの「主義」というのは一種の病気である。主義を超える実践が必要であると。
イリアム・モリスの「ユートピアだより」の終わりに、こんな文章がある。
 「あらゆる金言にもかかわらず、世界には安らぎの時代がまだひかえている――でもそれは友愛・連帯(フェローシップ)が、支配に取って代わった暁のことです……」
 モリスの言う「フェローシップ」とは、モリスの政治思想と芸術思想を貫くキーワードである。