「チェルノブイリの祈り 未来の物語」<2>


 アレクシェービッチは、3年間かけて300人の人に取材した。
 「一人の人間によって語られるできごとはその人の運命ですが、大勢の人によって語られることは既に歴史です。二つの真実、――個人の真実と全体の真実を両立させるのは、もっともむずかしいことです。今日の人間は時代のはざまにいるんです。‥‥訪れては語り合い、記録しました。この人びとは最初に体験したのです。私たちがうすうす気づき始めたばかりのことを、みんなにとってはまだまだ謎であることを。‥‥私は未来のことを書き記している。」
 フォトジャーナリストの広河隆一は、この書は「人生のなかで出会った最も大切な書物である」と書いている。
「この人びとが経験したことを言葉で語れるようになるまでには、どれほどの時間の経過が必要であったのだろう。それをこのような文章にするためには、アレクシェービッチにはどのような精神が必要だったのだろうか。」
 「DAYS JAPAN」の編集長として、世界の戦場に飛んでは、多くの悲惨を見てきた彼は、
<たとえば「首が切断され、おなかが切り裂かれ、胎児が取りだされていた」と言葉で表しても、肝心な大切なものは伝わらないのだ、その「大切なもの」が何を意味するのか、私にはいまだ分かっていないが、アレクシェービッチの書はおぼろげながらそれが何か教えてくれるような気がする、>と。
 この書の最初に、いちばんにチェルノブイリ原発に身を挺して乗り込み消火作業に当たって被曝した消防夫の妻の語りがある。被曝した消防夫たちは全身が放射能のかたまりになって、やがて死んでいくのだが、その経過の語りは詳細を極める。妻は妊娠していた。極度の被曝をした消防夫たちは、家族からも仲間からも遠ざけられ隔離されるが、妻は、どんなに拒否されても、どんなにさえぎられても、隔離された夫に会いに行き、夫の死まで寄り添い続ける。看護婦が、彼女をあきらめさせようと、被曝した彼らの体は人間ではなく、放射能を発し続ける「原子炉」なのだと脅すけれども、彼女は聞く耳を持たなかった。夫の死後、彼女は赤ちゃんを生んだ。しかしその子もまた死んでいった。広河は、その消防夫の妻リュドミーラの語りについて、
「彼女は、夫の体がぼろぼろに剥離していくさなかでも、尊厳ある人間の姿を伝えている。それがリュドミーラの愛のありかたであり、アレクシェービッチの仕事は、最も過酷な形で崩壊させられていく人間の姿を、生命の尊厳で書き留めていくことだったのだ。それは決して覆い隠すことで守られる尊厳ではなく、言葉の極限まで語りつくしていきながら、守られていく尊厳だった。」
と書いている。
 妻リュドミーラは、アレクシェービッチに長々と語った最後に、
原発の職員はみな近くに住んでいます。一生原発で働いてきた人たち。今でも交代要員として原発に通っています。ほとんどの人は恐ろしい病気や障害がありますが、原発をはなれないのです。今日、どこでだれが彼らを必要とするでしょうか? たくさんの人があっけなく死んでいく。ベンチに座ったまま倒れる。家を出て、バスを待ちながら、倒れる。彼らは死んでいきますが、だれも彼らの話を真剣に聞いてみようとしません。‥‥
 私があなたにお話ししたのは、愛について。私がどんなに愛していたか、お話したんです。」


 何人かの語りの一部をここに抜粋する。
 
 ■カーチャ・P
 あの日、隣のおじさんは双眼鏡を持ってベランダに座り、火事を観察していました。私たちは女の子も男の子も自転車で発電所にすっ飛んで行ったんです。だれにも叱られませんでした。お昼頃、川で釣りをしていた人がいなくなりました。真っ黒になって帰っていきました。核焼けです。発電所に立ち上る煙は青色でした。‥‥
 私たちは疎開させられました。バスに乗っていくとき、空は真っ青でした。私たちはどこに行くんだろう。もう戻ってこれないなんて、だれひとり思っていませんでした。少しめまいがして、のどがいがらっぽい感じでした。ミンスクに着きました。列車の席は車掌から三倍の値段で買いました。「どこから?」「チェルノブイリから」。すると人びとは私たちのコンパ−トメントをさりげなく避け、子どもたちにもそばを走らせない。
 おばあちゃんは、新しい場所になじむことができませんでした。死ぬ前に「スカンポが食べたいよう」と頼んでいました。
 あなたはヒロシマのヒバクシャのことを何か耳になさったことがありますか。原爆の後、生きのびている人びとのことを。彼らはヒバクシャ同士の結婚しか望めないというのは本当ですか。
 私にはフィアンセがいて、彼は私を家につれていき、母親に紹介しました。りっぱなお母さん、工場の会計士です。社会活動もしているそんなお母さんが、私がチェルノブイリから移住してきた家庭の娘であることを知ると驚いたんです。
「まあ、あなた、赤ちゃんを生んでもだいじょうぶなの?」
 私たちは戸籍登録所に結婚願いを出したのに。
 彼は、「ぼくは家を出る。アパートを借りることにしよう」と懇願します。でも私の耳にはお母さんの声、
「ねえ、あなた、生むことが罪になるって人もいるのよ」
 愛することが罪になるなんて‥‥。



 ■リリヤ・クズメンコワ(舞台監督)
 私たちは楽しいお芝居「井戸さん、お水ちょうだい」を持って、汚染地に行きました。おとぎ話です。地区中心のホチムスクに着きました。そこには孤児院があり、子どもたちはどこにも避難させられていませんでした。休憩時間。子どもたちは拍手をしない。立ちあがらない。黙ったまま。私の教え子たちは泣きだしそうになり、楽屋に集まりました。子どもたちはどうしたんだろう。後で分かったのですが、子どもたちは舞台の上のできごとをぜんぶ信じ込んでしまったんです。舞台ではお芝居のあいだじゅう奇跡を待っているんです。家庭にいる子どもなら、これは劇なんだと分かるんです。でもこの子どもたちは、舞台と同じように奇跡を待っていたんです。
 私たちベラルーシ人には、一度も永遠のものがありませんでした。大地ですら私たちは永遠のものを持たず、いつもだれかが奪い取っては私たちの奇跡を消してきた。私たちは旧約聖書に書かれているような永遠を生きることもできなかった。この者は、あの者を生み、あの者はその者を生んだという永遠を。私たちはこの永遠をどう扱えばいいのか知らず、永遠と共に生きることができない。