生命力


 2メートル近くに育っていたトキワマンサクの樹が、幹の真ん中でぽきりと折れて、樹の先端が地面についていた。先だっての雪が樹の上部の枝に降り積もって塊となり、その重みに耐えきれずに折れたのだ。気温がぐんと冷えて降る雪は軽く、大量に枝にとどまらずに落ちる。が、この前は、湿度の高い雪が樹の先端にキノコ状に残った。だから幹が耐えられなかった。折れた部分は、幹の3分の一だけつながっていた。早速折れた部分をつなぐことにした。上部の枝を数本切り取って少なくし、元の状態に幹をまっすぐ立てて、添え木をし、ひもで縛った。つないだ部分がうまくくっつき、傷口が塞がるかどうか、上部が枯れないで生きるかどうか。生きる可能性は2分かな。折れた部分は枯れるが8分。試してみる。
 この樹は、一昨年、季節はずれに、ホームセンターで一本だけ売れ残りとして半額の値札が付けられて売られていたものだった。値段の安さで買ってきた。売れ残って店で枯らしてしまう樹が多い。それはしのびない。幸い根はうまく活着し、枝もたくさん出て葉も茂った。トキワマンサクは温かい地方の樹だから、この冬の初めに、雪囲いしてやろうかなと思ったが、ちょっと怠けてそのままにしたのがよくなかった。この冬、氷点下10度前後の厳しい寒さがやってきた。けれど樹は、思いのほかこの寒気でも、葉っぱが枯れない。だから「トキワ」なんだ、常緑樹なんだと、そのとき気づいた。怠りが原因で、トキワマンサクは真っ二つにボキリと折れてしまった。今年は花が咲くだろうと楽しみにしていたのだが、それは無理だ。かわいそうなことをした。
 5年ほど前、大阪の実家に戻ったとき、兄の家の玄関先で、トキワマンサクの紅花が見事に樹を覆うように咲いていた。感嘆していたら、義姉がこぼれ種から生えてきた小さな苗を数本くれた。持って帰って我が家の庭に植えたら、冬の寒さと夏の日照りで、一本を残してあとは全部枯れてしまった。その生き残りの一本はなかなか大きくならず、やっと30センチぐらいに成長してきたところだ。
 満身創痍の二本のトキワマンサクだ。

 火曜日の午後、来年度の共同募金助成金10万円(上限)を受けるためのプレゼンテ―ションに行ってきた。「安曇野ひかりプロジェクト」では今年の夏も、福島の子どもたち支援の保養キャンプを実施する。その資金は大部分が市民からの援助金だ。そのなかに共同募金からの助成金もこの二年間入れてもらってきた。プレゼンテーションは、安曇野社会福祉協議会で行なわれる。助成金を希望する諸団体の代表が順番にプレゼンテーションを行ない、それを聞いて審査するというわけだ。
 4年間続けてきた福島の親子保養キャンプ、今年もまた夏休みに実施しようと最終結論が出たのは先週だった。昨秋から「安曇野ひかりプロジェクト」内で、続けるか、終わりにするかを議論してきた。
 このプロジェクトの資金を準備するためにいろんなイベントを開いて市民の協力を呼び掛けてきたがその負担が重い。また福島と安曇野の往復にバスを用意してきたが、距離が長すぎる。震災6年目になるが、現地の状況はどうなんだろう。しかし、去年も参加した子どもたちや親からは、来年度も参加したいという声があった。一度ここで計画をゼロから見直してはどうか、いや継続したい。
 いろんな意見が出て、組織内の結論が出ないままに年を越した。そしてプレゼンテーションの1週間前に、企画内容に大きな変更を加えて実施するという結論が出たのだった。すなわち、夏休み期間にいつでも来たいときに来る福島の親子を受け入れる。送迎バスは出さない。それぞれの家族で交通手段を選んで来てもらう。その保養ステイにかかる費用の一部を「安曇野ひかりプロジェクト」で補助する。これが変更内容である。
 プレゼンテーションには、プロジェクトの仲間である若いお母さんの樋口さんと出かけた。説明する時間はわずか5分、質疑応答5分、そんな短時間で全貌を説明できるはずもない。2011年3月11日の大震災の直後から始めた運動の経過と昨年の保養キャンプのさわりを述べていると、「5分が過ぎています」という注意が審査の側から出た。結局樋口さんと二人で10分足らず話したものの、審査する人たちは何をつかんだのだろうかという疑問が湧いた。申請した諸団体が順番に説明するのだから、時間を平等に配分して一団体5分、質疑5分となったのであろうが、それでは活動の本質や抱えている困難に迫ることはできなかった。 
 審査結果は後日届くということだ。
 昨年暮れの12月31日発表の、福島の甲状腺ガンの「疑い」は167人になるという。発表ではやはり、原発事故による放射能との関連を避けていた。
 
 夜、電話が鳴った。受話器を取ると、甥の声がした。
「父の意識がもどりました」
「エーッ、エーッ、もどったー」
「話もできるようになってー」
「エーッ、よかったーっ、よかったーっ」
 血液内の数値も下がり、今日はおかゆを食べた、おしっこも出たという。ぼくは、よかったー、よかったー、と叫んでいた。しばらくして妹から電話が来た。
「奇跡が起こったよー。生命力やねー、涙が出てきたよー」
 奇跡よ起これ、と祈った、その奇跡が起こった。