「チェルノブイリの祈り 未来の物語」<1>


 「チェルノブイリの祈り 未来の物語」(スベトラーナ・アレクシエービッチ著 松本妙子訳 岩波現代文庫)を読んだ。チェルノブイリの村人たちの語りに、ぼくは引き込まれた。
 2015年のノーベル文学賞は、ベラルーシの作家・スベトラーナ・アレクシエービッチだった。アレクシエービッチは、チェルノブイリ原発事故後、被曝したたくさんの人たちに取材を行ない、時間をかけて一人ひとりの肉声を引き出した。その業績は「現代の苦痛と、それを乗り越える勇気の記念碑」と称賛された。
 「チェルノブイリの祈り 未来の物語」は、事故から10年後に住民の問題意識や感情がどのように変わってきたかをテーマに、たくさんの証言を集めている。口をついて出てくる、彼らの感情や思念が率直につづられ、読む者の心に迫ってくる。翻訳もなかなかいい。記録の中の、いくつかビリビリ響いた文章を、抜き出してみる。チェルノブイリとフクシマを考えるための、心に届く文章を。

 ■ジサイーダ・コワレンカ
 窓の外をごらんなされ。カササギが飛んでおります。私は追い払わないよ。
 一生働きづくめで、さんざんつらい思いをしてきた、もう十分だよ。私はここをはなれませんよ。町へ出ていった村の女衆はみな泣いとります。私らの村は疎開、移住ですよ。村の衆は鍵をかけて家に閉じこもった。兵士たちが戸をどんどんたたく。兵士たちが、ひとりふたりと手をつかんで車につれていきました。村の衆は出ていき、犬やネコが置いていかれた。私は歩きまわって、みんなに牛乳をやり、パンを食べさせた。みんな自分の家のそばで、飼い主を待っとりました。長いこと待っとりましたよ。腹をすかせたネコが、キュウリやトマトを食べておるんです。  
 うちにはワーシカという利口なネコがおったんです。ワーシカがいなかったら、私は死んでいただろうね。私とワーシカはおしゃべりをし、いっしょに食事をした。でもある日、ワーシカがいなくなった。飢えたイヌどもに襲われて、食われちまったのだろうか。
 ここにはなんでもおる。トカゲ、ミミズ、ネズミだって。春はいいもんだよ。ライラックの花が咲くころが好きなんです、ウワズミザクラが匂うころが。
 足が達者だったころは、歩いてパンを買いに行ったもんです。片道15キロ、若いころなら、ひとっ走りなんだがね。
 ワーシカがいなくなって、歩きに歩き、呼びつづけた。三日目に店の近くで、ネコが座っておりました。目を見つめあいましたよ。
「さあ、おいで。うちへ行こう」
 こうして私らもう二冬もいっしょに越したんですよ。さびしくなると、墓地へ行くんですよ。母が眠っている。私の小さな娘っ子も。戦時中チフスで死んだんです。亭主もあそこ。みんなのそばにちょっと腰をおろして、ちょっとため息をつくんです。この世にいない人間とも、おしゃべりはできるよ。とても悲しい時は、どちらの声も聞こえるんです。
 私はね、目を閉じて村を歩きまわるんです。彼らに話しかけるんです。
「ここに放射能なんかあるもんかね。チョウチョがとんでるし、マルハナバチもぶんぶん言ってるよ。うちのワーシカもネズミをとってるよ。」(泣く)

 ■ニコライ・カルーギン
 家を出たのは三日目でした。原子炉が燃えていた。だれだったか、
「原子炉の匂いがする」
といった。表現しがたい匂い。「ネコはつれていくな」とラジオで放送された。スーツケースに入れていこうよ! でもネコはいやがってあばれた。ひっかかれました。「荷物は持っていくな」とも。持っていくものはひとつだけ。家のドアを取り外して持っていかなければならない。
 家のドアはぼくらのお守りなんです。家族の大事な宝物。このドアの上に、ぼくの父が横たわった。母が話してくれた。
「ここじゃね、亡くなった人はその家のドアに寝かせなくちゃならないよ。」
 父は棺が運ばれてくるまでドアに横たわっていた。ぼくは一晩じゅう、父のそばにいた。‥‥
 このドアには、ぼくらの成長のあとが記されているんです。このドアをバイクに乗せて持ち出したのは二年後です。ぼくらの家が略奪にあって、すっからかんになってしまった後です。警察に追いかけられましたよ。ぼくは、汚染地泥棒に間違えられたのです。
 妻と娘を病院に行かせました。身体じゅうに黒い斑点ができていました。
「検査の結果を教えてください」
と頼んだら、
「あなた方のための検査じゃない」
と言われた。
「じゃあ、いったいだれのための検査なんですか」
 そこらじゅうでだれもが言っていた。死んでしまう。死んでしまう。2000年までにベラルーシ人は全滅してしまうだろうと。
 ぼくの娘は6歳だった。寝させようと、ベッドに入れると、ぼくの耳元でひそひそささやく。
「パパ、あたしね、生きていたい。まだちっちゃいんだもの」
 娘は何も理解していないだろうと思っていたんです。あなたは、頭がつるつるの女の子を一度に7人も想像できますか。病院には7人いたんです。
 娘はドアの上に横たえられました。昔、父が横たわったあのドアに。小さな棺がとどけられるまで。
 棺は小さかった。大きな人形が入っていた箱のようでした。

 ■一兵士
 ぼくは軍人だ。命令されたらやらねばならない。
 一人の学者が言う。
「私は君らのヘリコプターを舌でなめてもいい。何か起きることはないよ。」
 別の学者が言う。
「なんで防護用具をつけないで飛ぶんだ。命をちぢめる気かい。鉛でおおって接合したまえ。」
 朝から夜まで飛んだ。
 ぼくらは考え込むようになった。
 たしか3年が過ぎたころだよ。一人二人と、発病した。だれかが死に、気がふれた。自殺者も出た。それで考え込むようになったんだ。
 ぼくはアフガンに2年いたし、チェルノブイリに3カ月いた。人生でもっとも輝いていた時期なんだ。

 ■エフゲニイ・プロフギン
 事故が起きて数日のうちに、放射能ヒロシマナガサキについての本、レントゲンの本までもが、図書館から姿を消してしまった。パニックが起きないようにという、お上からの命令だとうわさされていました。
 それから俗信があらわれ、みんながそれに注目した。町や村にスズメやハトがいる間は、人間もそこに住めると。タクシーの運転手が、どうも変だと話していた。どうして鳥がフロントガラスに落ちてきてぶつかるんだろう、目が見えず、気がふれたかのように。なんだか自殺みたいなんだよと。
 汚染された土地の上層がけずりとられ、埋められ、かわりにドロマイト(苦灰石)の砂がまかれた。地球だとは思えない。ぼくは長い間この景色に苦しめられ、短編小説を書いた。100年後にここでおきていることを想像してみたんです。人ともなんともつかないものが、長い後ろ足をうしろに高く跳ねあげて、四足で走り回り、夜になると三番目の目ですべてをながめている。頭のてっぺんにあるたったひとつの耳は、アリの動きさえキャッチできる。生き残ったのはアリだけ。そのほかの地上と空のものすべては滅び去ってしまった。
 雑誌社にこの短編を送った。これは文学作品とはいえない。ホラーだという返事が来た。
 なぜわが国の作家は、チェルノブイリについて沈黙し、ほとんど書かないのだろうか。戦争や強制収容所のことは書き続けているのに、なぜだんまりを決め込んでいるのだろう。
 ぼくらはこの惨禍からいかにして意味あるものを引き出せばいいのか、分からないでいる。能力がないんです。なぜなら、チェルノブイリはぼくら人間の経験や、人間の時間で推し量ることができないからです。

 ■ホイニキ猟師
 おれは地区執行委員会によびだされ、「いいか、会長さんよ、汚染地にイヌやネコやら住民が飼っていた動物がたくさんいる。伝染病がはびこらないようにこいつらを殺さにゃならん。やってくれ」と言われたんだ。おれは猟師を集めて事情を話した。だれも行くと言わなかった。なにひとつ防護用具が支給されないんだからな。しかたなくセメント工場に行って、マスクを借りたよ。
 30ルーブル、報奨金をもらった。ウォッカが一本3ルーブルだった。ウォッカで体の除染だよ。おれたちは、汚染地を二ヶ月間車でまわった。イヌは家の周りを走りながら番をしている。人間を待っている。おれたちを見ると喜んで人の声めがけて走ってくる。家の中や納屋、畑で撃った。道路に引きづり出しダンプカーに積み上げる。気持ちのいいもんじゃないよ。やつら、どうして殺されるのかわからなかっただろう。
 ロシアに家畜が運ばれて売られていた。若い雌牛は白血病だ。でも、そいつらは安値で売りさばかれちまった。
 じいさんや、ばあさんが、いちばん気の毒だ。おれたちの車に寄ってきて、「わしの家を見てきてくれんかね」という。「服と帽子とってきておくれ」と鍵を手のなかに押し込む。金をくれる。「あそこでわしのイヌはどうしているかい」と。イヌは撃ち殺され、家は略奪にあってすっからかんさ。じいさんたちは二度とあそこにもどることはないだろう。なんて話してやればいいのだ。おれは鍵を受け取らなかった。だましたくないんだ。
 おれたちは学問のためにも撃つ。ウサギ、キツネ、ノロジカ、どいつもこいつも汚染されている。それでも、おれも殺して食ってるだ。はじめはおっかなびっくりだったが、今じゃへっちゃらだよ。なにか食わなくちゃなるまい。月や他の惑星に引っ越せるわけじゃないんだから。
 いいか、たくさんの住民が被災したのに、だれもこの責任をとっていないんだ。原発の所長がぶちこまれたが、すぐに釈放された。あの体制では、だれが悪かったのか決めるのはとてもむずかしいんだよ。お前さんらだって、上から命令されたら、従うしかないだろ?