この文章は誰の文章?

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  次の文章は元の文体を変えてあります。いったい誰の文章だと思いますか。

 「世の中のこともよく知らず、学問も芸術も未熟なまま、高い家柄の子息として、地位も思いのままになり、栄華を誇る癖が付くと、学問などで苦労するのは回りくどく思うようになり、遊戯にふけり、そこへもって望みどおりの地位に昇るようなことになれば、権勢に従う者どもが腹の底ではせせら笑いながら、世辞を言ったり機嫌をとったり、その当座はひとかどの人物らしく思えて、偉そうに見えるけれど、時代が変わって、親たちに死なれて落ち目になれば、人に侮られ、軽んぜられ、身の置きどころのないようになる。やはり学問をもととしてこそ、大和魂もいっそう重く、世に用いられるものだ。もどかしいようだが、将来天下の器になるような修養をすませることだ。」

 はて、この文章は誰のでしょう。

 この文章の中の「大和魂」の意味は、軍国主義の時代に強調された意味ではありません。広辞苑に、

 「漢才、すなわち学問(漢学)上の知識に対して、実生活上の知恵、才能。和魂。」

 とあります。この後に、こう続きます。

 「源氏物語の乙女の巻、『才を本としてこそ、大和魂の世に用ひらるる方も強ふ侍らめ』」

ということで、上記の文章は紫式部の「源氏物語」です。

 この思いがけない出会い、実は、鶴見俊輔の「近代とは何だろうか」において歴史家の上田正昭が次のようなことを述べていたのです。

 

 「日本文化は雑種文化だと言う人もあるけれども、雑草のようなたくましさみたいなものが日本文化の根底にはあると思うのです。紫式部などはよく見ていたと思うのですが、『才(ざえ)を本としてこそ大和魂の世に用ひらるる方も強ふ侍らめ』と言っている。才は漢才で、それがもとになってこそ、日本人としての判断力や良識、能力はつよくなると言っているのです。この言葉は日本文化を象徴しています。固有なるもの、純粋なるものが尊いんだという、ひよわな文化に対する価値観は、へたをすると悪しきナショナリズムにつながっていくのではないでしょうか。」