友に会う

9月1日から3日間、兵庫・大阪の三箇所を一人で回ってきた。兵庫の山村に住む友人夫婦、神戸に住む息子夫婦、大阪に住む教え子夫婦に会うために。
久しぶりの関西行きだ。特急しなの号は蛇行しながら猛スピードで木曽谷を駆け下り、名古屋で新幹線に乗り換えて大阪へ。これはもう行程を楽しむような、のどかな旅ではない。木曽路の風も、木陰の草の匂いも感じることはなく、点から点へ移動するだけだ。
尼崎で篠山口行きに乗り換えて、快速列車で1時間、篠山口へ向かう。丹波路に入ると列車のスピードが落ちて各駅停車になり、やっと旅がもどってきた。宝塚から山の中に入っていく列車の車窓から景色を眺める。このあたり、学生時代には岩登りの練習でよく来た、ひなびたところだったが、今は住宅が山中に食い込んでもう往年の風景はなくなっていた。ぼうぜんとしていると、光がさすように視界に現れた岩塊があった。見上げると、あっ、不動岩だ。だれかクライミングしている人がいないか、と岩場を見つめてみたが、姿は確認できないまま風景はもとの緑の森に変わった。急いで反対側の車窓に目を移した。百丈岩は見えないか。それは列車の沿線から少し離れていたから見えるはずもなかったが、記憶の中に屹立する岩峰の姿はよみがえった。
丹波路は稲穂の黄色が増していた。篠山口に着いて改札口に行くと、進さんの姿が見えた。「お茶の水博士」という愛称で呼んできた進さんの頭の両側には白髪が残っていて真ん中はきれいにはげ、ちょっとやせているように見えたが、ここ数年ガンの治療をしてきた進さんは思いのほか元気そうだった。
進さんの家はここから車で約1時間、進さんは軽自動車を運転しながらも会話は絶えない。いくつか村を過ぎ、峠を越えていく。周囲が山に囲まれ、田畑が家々の回りを取り囲んでいる静かな集落に着いた。進さんの家はコウゾをすいて作る和紙の研究所近くにある。進さんも紙すきをしてきたのだが、今は病を養い真冬の作業はひかえている。この地区も鹿や猿が出没して作物を食い荒らす被害がひどくなり、どこもかしこも田畑の周囲は背丈ほどの網が張り巡らされていた。進さんが車を止めた。そこは進さんのつくっている畑で、草も作物も元気だ。
奥さんのエツコさんに迎えられ、野菜たっぷりの夕食を味わいながら、夜が更けるまで三人の会話がはずんだ。この村に移り住んで40年、考古学関係の仕事と紙すきをやってきた進さんは、今は民俗学にのめりこんでいる。興味関心のおもむくままに、車を走らせて旅をし、山を歩き、人に会い、遺跡に出会って、好奇心をたぎらせている。良き人生かな。
進さんは、北海道に住む息子夫婦と孫に会いに、車に乗ってフェリーを利用して行き、ついでに回ってきた北海道の話をした。登場したのは高橋武市のつくる庭園・陽殖園。棚から「武市の夢の庭」という写真集を引っ張り出す。エツコさんが、子どもの絵本雑誌「たくさんのふしぎ」の特集「夢の庭づくり」を出してきた。話は次から次へ天馬空を行き、信州の旧制諏訪中学校で教鞭をとった三澤勝衛の「風土論」になる。三澤勝衛の「風土」は、大地の表面と大気の底面とが触れ合う接触面のことで、ここで大地と大気とは化合し、さまざまな風土が生じ、風土を知り尽くすことが自然を活用した産業を育成する基礎であるという。進さんは、三澤の著作集「風土の発見と創造」、「地域からの教育創造」を読んで書写したノートを見せてくれた。さらに話はバウンドし、阿智村の熊谷元一のことになった。熊谷は小学校教員であった。童画を書き、子ども、生徒たちの写真を撮り、まだ20代であった1938年に写真集『会地村: 一農村の写真記録』を出版した。1955年には、『一年生 ある小学教師の記録』(岩波書店)により毎日写真賞を受賞している。昼神温泉郷には熊谷元一写真童画館がある。進さんはそこも観てきていた。進さんはまた本を出してきた。「写しつづけて69年 阿智村昭和平成」、熊谷の写真集だ。そこには、そのまんまの子どもたち、原人子どもが、たくさん写っていた。すばらしい記録だ。
 ぼくは今自分のやっていること、考えていることも話し、進さんの話とぼくの話がぐるぐる渦を巻いた。異質な内容のなかから、これから生きていくうえでのヒントも湧いてくる内容だった。その日は進さんの家に泊めてもらった。夜中、鹿の鳴き声が聞こえた。
 翌朝5時過ぎ、ぼくは一人近辺を散歩した。山の中腹にもやが立ち込め、すがすがしい景色だ。村の人たちの農産物を販売している道の駅では、もう農家が作物を持ち込み、おばさんが、あんもち・おはぎを作っていた。店の前の神社では、樹齢1000年を超える杉が60メートルの高さにまで幹を伸ばしている。「神」のテーマは夕べの話題のひとつでもあった。
 午前9時、再び篠山口まで進さんに送ってもらって、次の神戸に向かった。不動岩のところに来たとき、列車の窓からのぞくと、岸壁の途中に数人のヘルメットをかぶったクライマーの姿が見えた。